男女共同参画社会
『虎に翼』
久しぶりに、朝ドラに熱中した。
長女も同じように見ていたらしい。
私の母は、昭和10年生まれ。大変な時代を強く生きてきた女性だ。
叔母から聞いたところによると、勉強はよくできたらしい。
大学進学を望んだが、「女だてらに勉強など必要ない。」と、両親から反対され、学歴は高卒どまりであった。
その後、親の決めたお見合い相手(私の父である)と結婚し、結核を患った父を支えるため大変な苦労をした。
父が健康を取り戻すと、夫婦で事業を起こし、父の右腕以上の存在となった。
しかしながら、父の会社での母の肩書はなく、「社長の奥さん」と呼ばれていた。
私は5人きょうだいの次女として育った。
我が家がまだ貧しかった幼少期、大阪の長屋の2階、窓のある6畳間を一人息子の兄が、隣の日の入らない4畳半を4人の娘たちで使っていた。
食事も肉料理は兄が優先であった。
このことを私たち4姉妹は不思議に思わなかったのだ。
両親はよく働き、会社も軌道に乗り、5人の子ども達を望むように進学させてくれた。
結婚後、仕事を続ける女性たちは容赦ない男社会の洗礼を受けた。
「子持ちのオバサンは使えないな。」
保育園から子どもの発熱の知らせを受けると、決まって上司からこう言われる。
「飯まだかよ?好きで働いてるんだから家族に迷惑かけんなよ。」夫からの言葉だ。
3人目も女の子だと分かったときには「女じゃ家を継げないな。仕方がない、今度は外腹だな。」と言ったのは男社会に順応してきた女性である。
「男が外に女を作るのは甲斐性だ。」
「亭主が稼いだ金をどう使おうが勝手だろう。」
こういうことがまかり通った時代であった。
心無い言葉に傷ついて泣いている女性を見てきたが、戦う女性もたくさんいた。
私も可愛げのない戦う女性の一人だった。
「あなたも、その子持ちのオバサンの息子では?」
「継がせるほどの立派な家ですか?」
納得のいかないことには反論した。
こんなとき、すべきことをやらねば、口だけのお喋りオバサンのレッテルを貼られてしまう。
仕事で成果を出し、家事の手を抜かず、子ども達にも目を配り…24時間は短かった。
大変な思いをしてきた同世代の女性たちとこの頃を振り返ると、皆口をそろえて「綱渡りだったよね。」と言う。
しかし、母の時代よりは生きやすくなった。娘の時代にはもっと生きやすくなってほしいと思ってはいるが、長女の就職活動の折、役員面接で何度も聞かれた言葉は、「結婚後、仕事は続けられますか?子どもができても、仕事は続けますか?」だった。
娘は「男にも同じことを聞くのだろうか?」と嘆いていた。
この子たちもやはりたゆまず戦い続けるのだろうと思う。
しかし、三人の娘たちをはじめ若い女性たちに、私たちのように頑張れとは言わない。
だって、間違えているでしょう。睡眠時間を削り、体を壊しながら戦うなんてナンセンスです。
それでも、私たちのバトンを受け取って今よりも男女が横並びで手を取り合って生きていける社会を目指してほしい。
『男女共同参画社会』
字面はご立派だが、「生まない」ではなく「生めない」と女性たちに言わせてしまうこの社会を皆さんはどう思いますか。