またね。って良い響き
流星群の極大日。空にはあいにく雲がかかっていた。
流星群どころか、星がひとつとして見えない。
「あー。今日は新月で好条件だったのにな。」なんて隣で呟く。
上をぼんやり眺めてから、かれこれ2時間は経つだろうか。
結局その日、星が顔を出すことは一度もなかった。
***
コロナ禍に入ってかれこれ数年が過ぎた。
ふらっと遊びに出かけることはもちろん、人と会うことも極端に減った中でのひさしぶりの再会。
流星群を理由に集合したわたしたちは、あーだこーだ。数年分の出来事を止まることなく話し続けた。
仕事のこと。世の中のこと。人間関係のこと。これからのこと。
この数年間の相手のことは何ひとつわからない。
その未知なる余白が相手を想う原動力になる。
***
会った時の、「最近どう?」がわたしはすきだ。
そして、最近どう?の中で、変化した時間と、変わらない空気感が交わる瞬間。
あの瞬間、胸がきゅーっとして、過去、現在、未来の点とてんが、結ばれるような気がする。
ひさしぶりの再会には、全然時間が足りない。
本当はもっと話したい。まだまだ時を共有したい。
でも、そのくらいのタイミングで「またね。」の挨拶を交わす。
それがまた良い響きで。
「またね。」には、次が含まれているから。
次会った時のおたのしみさまがあるから。
腹八分目っていうことばに少し似ているのかもしれない。
まだ足りない、そう感じながらひとり歩く帰り道は余韻を生む。
その余韻の中に、また次があるよろこびが転がっている。
次再会した時はお互いどうなっているのかな。
次会うまでに何度君のことを思い出すのかな。
SNSの時代。便利だし、遠くにいても近くにいる気になってしまう。
それはそれで良いかもしれない。
でもやっぱりわたしは相手のことをふと思い出すあの瞬間に何か大切なものが含まれている気がするのだ。
わからないから、思い出す。
離れているから近づける。
またねっていい響き。