ちっぽけで、愛おしくて。
ただそこに立ち尽くした。
自他の境界線を払拭したかった。
しゃしんに残すと、この風景は色褪せてしまいそうで。
あの時私はそっと携帯をポケットに入れた。
5月末。私はとても楽しみにしていた。
ずっと行きたかった登山に、友人たちがご一緒してくれるというのだ。
毎日都会で過ごすということの限界に気づいてしまった私は、自然の中で目の前の人と大切に時間を、言葉を、交わして生きていきたいと思っていた。
とにかく、自然の中で深く呼吸し、生きていることを実感したかったのだ。
早朝。よく見かける顔ぶれが集合する。
みんな雨に備えて、違う遊びをできるようにか。
私服を着ているのに対して私はたのしみの度を超えて、一人しっかり登山の服装をしていた。
完全浮いていたけれど、それほど自然の中で友人たちと遊ぶことに心を躍らせていた。
作戦会議を行う。
あーだこーだ話す時間がたのしかった。
こんなふうに何も決まっていない遊びをするのは、案外久しぶりで。
大人になったという言葉がふさわしいのだろうか。
ここ数年のうちに、目的のある遊びをするようになっていたことに気が付く。
登山を諦めたわたしたちは、とことん目的のない遊びをした。
車内では、会話を楽しむ人、音楽を楽しむ人、みんな各々心地よい時間を過ごしている。
それぞれが違う楽しみ方を過ごしながら、同じ空間を共に過ごす。
あ。私、この感覚すごくすきだな。
みんな違うことをしているのに心地よい温度で交わっているんだもの。
ドライブして、美味しいものを食べて、自然を感じに行って。
「マイナスイオン感じたねー」「このアイス美味しいねー」なんて交わしながら、なんの目的もなくいちにちを共有する。
なんだかすごくくすぐったかった。しあわせだった。
あっという間に夜になる。
友人のひとりが昔見つけた夜景スポットにみんなで行った。
きっと、大切な思い出の場所だったんだろうな。
そんなところに連れてくれたことが、ただただ嬉しかった。
簡単にシャッターをきることはできなかった。
そこに広がる景色は、綺麗なだけの夜景じゃなくて。
本当に沢山の生活の交わりを感じた。
少し草むらをかき分けた先。
私たちが立っているのはカエルの合唱が響きわたる畑の中。
近くの道を歩く人に、遠くの工場夜景、ベイブリッジ。
明かりが灯り続ける連なったビル。
私たちは普段ここで当たり前のように過ごしている。
守るべきものがあるし、ひとつのちっぽけな明かりを必死で灯しているのだ。
ささいなことで落ち込むし、何かに拝むことだってある。
どんなに悩んでも、苦しくても、ここからみる無数の明かりのたった一つでしかない。
私たちはこんなにもちっぽけな一つの暮らしの中で、必死にもがき続ける。
必死に生き続ける。
遠くまで続く光の道。
なんだか、どこまでもちっぽけだし、それでいてどこまでも愛おしかった。
やっぱりこの景色はこの人たちとこの日を過ごしたまでの秘密にしていたかった。
これから先、こんな景色に出会うことはどれだけあるのだろう。
心動かされる瞬間にどれだけ気づくのだろう。
答えが必要ないことはわかっているが、そんな問いが生まれずにはいられなかった。
私たちはただ無言で立ち尽くした。
そこにことばはいらなかった。