静寂、月に祈りを。
いつだって人は静けさの中にいる。
孤独こそが、にんげんの宿命なのかもしれない。
早朝、気が付くと床に横たわっていた。
日のひかりがわたしを包み込み、ああ。今日もやってしまったのだ。と目を擦る。
昨夜、いつの間に深い眠りに落ちてしまったのだ。
近頃はそんなことが多い。
旅を始めて1ヶ月。
孤独の中で生きている時間が圧倒的増えたように思う。
今、わたしはしっかり自分の中で生きているんだなと実感することが増えたのだ。
私たちはいつだってひとりの人として生きている。
たとえどんなに周囲が助言してくれても、守ってくれても。
最終的にはたったひとりの私が大なり小なり意志決定をしていかなければならないのだ。
何時に起きるかも。何を食べるかも。そしてどう生きていくかも。
だからこそ、私にとって静寂の時間はとてもたいせつだ。
静けさのなかに人は一体何をみるのだろう。
月夜の散歩道。
そこではたまらない恐怖心が生まれた。
この先どうやって生きていくのだろうか。
今まで所有していたと思い込んでいたものを、どれも手放した。
所有しているものなど最初からなかったのに。
多くは心の中に信じている、ありもしないものに縋って生きてきただけなのに。
これまで思い込みの中で生きてきたからか、何も持ち合わせていないと気づいた時、強い不安が生まれたのだ。
ただ、月夜の中、生まれる不安はひとつの歓びでもあった。
信じていたものがちゃんとあったという歓び。
周囲のひとに支えられて生きていることに気づく歓び。
その中で、結局わたしはどこまでも自由だった。
正しいとされる世の中で、本当に正しいことってなんだろう。
ふつうってなんだろう。
結局そんなものなんてひとつもない。
大昔に誰かがつくりあげたものを信じているだけ。
それならば、わたしはわたしと向き合っていくしかない。
当たり前だと思っていたことから一旦離れて、真っ白をつくらなければいけない。
花の香りが、水面に映る太陽の光が、美しい。そんな気付きの中で生きていきたい。
真っ白の中で、やはり今までのわたしのあり方がすきならば、そこに戻ったらいい。
いつだってひとはそんな選択の宇宙の中に生きているんだから。
忙しない日々の中に身を置くと、ついついそんなことを忘れてしまう。
だからこそ、わたしは月を眺める夜道がすきなんだ。そんなことを思いながら珈琲を一杯飲んだ。