変わらない、日常を。
「もしも1つだけ願いが叶うなら」
私は何を願うだろう。
小学生のころ、サンタさんに「ニンテンドーDSがほしい」と願った。
中学生になると、流れ星に「試合前に怪我が治りますように」と願った。
今の自分に問いかける。
もしも1つだけ願いが叶うとしたら、
「私は大切な人たちと、焚き火を囲む、日常を過ごし続けたい」
日常に、火を灯す
学生のころは、夕方になるとこんな連絡が飛び交った。
「今日、火焚く?」
地元に海があるわたしたちにとって、
焚き火ができる海は、みんなの溜まり場だった。
***
「焚き火」。
聞きなれない人からすると、何のことだろうと思うかもしれない。
キャンプのこと?それとも、BBQのこと?
私たちにとっての焚き火は、ただ火を焚いて、眺める行為。
まずは自宅にある食材を少しずつ、分担して持ち出す。
私は家からじゃがいもを1つ。
Aちゃんは、ニンニクを。
Eちゃんは、マシュマロを。
お次は燃料になる枝を探しに、公園に大集合。
みんなで乾いた木の枝をかき集める。
そして自転車のカゴに、ありったけの枝をつめ込んで、
海へまっすぐペダルを漕ぎ始める。
みんなで集めた枝に、火をつける。
ぱちり、ぱちりと火が灯り始める。
何を話すわけでもなく、みんなでぼーっと火を眺める。
私はこのひとときが、たまらなくすきだった。
***
20代半ばを過ぎたあたりから、家庭を持ち始める人が増えた。
遠くに移住してしまった友人も増えた。
あのころ当たり前だった、私たちの焚き火時間は、いつの間にか、特別なものになり始めていた。
歳を重ねる。
その時間の流れに比例するかのように、これまでの当たり前だった過ごし方には、少しずつ変化が伴い始める。
それでも時々焚き火をすると、そこにあるのは、あのころと変わらない時間で…
ぱちり、ぱちりと火が灯り始める。
何を話すわけでもなく、みんなでぼーっと火を眺める。
久しぶりで、話すネタが尽きないはずなのに、
結局焚き火の前ではみんな黙る。
それは、ただここにいることを無言で受け入れ合うかのよう。
これから先、大切な人たちと火を囲める瞬間ってどれだけあるのだろう。
ぽつり、ぽつりと減っていくのかもしれないけれど、
私は変わらず焚き火がすき。
ライフステージが変わると共に、いろんな変化はつきものだ。
それは時に忙しなく、時に喜ばしい。
それでも変わらない場所がある。
だからこそ、人は安心して、変化の方へ進めるのかもしれない。
「もしも1つだけ願いが叶うなら?」
「時々でも良いから、これからもみんなと焚き火を囲み続けたい」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?