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責められる夢
「自分では気付かなかったことや、自分以外の視点を見つけて、共通するものの解像度をあげるために議論するんじゃないのか?」
「お前は自分の気に入らないものを叩き潰すことを議論と呼んでいるのか?」
「人の話を聴く気がないなら議論する資格がないんじゃないか?」
「そもそも個人的なことを言うなら、そんなやつとは会話すらしたくないよ。どっかいけよ。」
全部今朝夢の中で私が言っていた言葉だ。
昨日のはこうだ。
「もう自分じゃどうしようもないことを自分だけでどうにかさせようとするのやめてくれよ、そういうことの積み重ねで病気になったんだよ。」
「いい加減にできないことを責めるのやめろよ、さもないとできることもできなくなるよ。」
「1つ1つできることからやっていくしかないだろ、なんでできないことを連れてきてワーワー言うんだよ。じゃあもうお前だけでなんとかしろよ。」
一昨日より前のは詳しく覚えてないが、もう1、2週間は連日こんな感じで、
夢の中で何かエピソードが起こる
そのエピソード上で私は夢の中の人物に責め立てられる
それに対して激昂し、思う所を捲し立てる。
という決まったテンプレートに収まっている。
そして起きるとぐったり疲れているし、通常の悪夢より不快なのだが、
どことなく毎度、3で自分の言ったことに納得感とカタルシスを覚える。
故に1~3のやり取りは日頃抑圧している感情や思考に関係しているのではないか?と考えているけれど。
(少なくとも現在の)現実では、周りにそんなに責められているわけじゃないのに「責められている」と感じているからこんな夢を見ているんだろう。大丈夫なんだろうか、と我ながら心配になる。
つまり、誰かに責められる夢を見るがそれに激しく抵抗し
、覚醒してから「今のはなんだ」と動揺するような寝起きがずっと続いている。
今朝のはなんだ。
「他責思考」とか「自責思考」とか声高にSNSで見かけるようになり、他責や自責のなんたるかが本当に理解できているのか怪しい輩共が、やれ「他責思考が悪くて自責思考が良い」等と言っているのを見ていると、あらあら本当にこいつら馬鹿だなと、質の落ちてしまったSNSに剣呑としながらスマホを閉じてしまうのだが、私の夢は何責思考から生まれたものといえば良いのだろうか。「被責思考」とでも言うべきだろうか。
私は、自分自身が酷く臆病で気性が荒いのを知っているけれど、毎日こんな夢を見なければならないほど恐ろしい環境には今いない。むしろ今は人生の休息と言えるくらい、日々が穏やかで平和で疲れきっている。ただ心身の状態で言えば、「安心して弱れるが、弱ってもいられない」とでも言えばいいのだろうか、沖から浅瀬へと天敵から逃げ切った小魚が、浜辺で息をするような苦しさが毎日あり、結構しんどい。とすると、そういう静かな時間を過ごしているからこそ積年のものが整理出来つつあるのだろうか。
恐らく自分を責めるのをやめて「責任を感じて俺がどうにかしたけど本当はあいつの問題だ!」と言える時期がようやっと来たのだと思う。まさに「被責思考」である。
ただこの「被責思考」もあんまり褒められた性質ではないのだろう。
何かのエピソードに10:0で悪いやつなんてほとんどいないからだ。(交通の世界には存在するが。)
だから都度何か問題にぶちあたったときは「自分はどうすればよかったのか」「相手はどうすればよかったのか」「状況はどうだったか」を毎回整理できるといいんだろうな。
ただ、人間は基本的に“生き物”なので、それが必ず上手くできるとも限らないのである。だとしても上手くやろうと練習しないのも怠慢だと感じる。
こういう整理を繰り返していけば毎日ひどい夢を見る頻度も少しは減るだろうか。まあ人間以外の悪夢も沢山見るから、そこはどうだかな。