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物理的な「視野」と、内面的な「視野」

私は、高所が好きだ。


いや、高いと行っても、ビル外の非常階段のような空中と足場を隔てる者の無い隙間があるタイプの高所はめちゃくちゃ苦手である。したくなくても、咄嗟に

「ああ、これ重心を傾けて重力に身を任せれば容易に落下するなあ」
とか、真下の道路とか見ようものなら
「これ、実際落ちたら跡形も無い姿になるんだろうな」
とか考える。故に、足がすくむ。ガクガクする。ぶっるぶるになる。
必要が無ければ、そういう場所には行きたくない。

しかし、しっかりした柵があったり、高層ビルの上の階など、比較的安全であると(私基準で)認められた場所は、その限りではない。そういう意味で、私は高所が好きだ。

それは、何故か。郊外における一階のアパートからの景色と、郊外のマンションの10階くらいの景色を思い浮かべて欲しい(それは、筆者が郊外に住んでいるからである。)
一階だと、向かいの家や道路、はたまた庭や駐車場など、限られたものが見える。言い方を変えれば、「視野」は限られている。

しかし、高所であれば、いろんなタイプの家、川や車、人の流れ、隣町の高層マンション、隣の市にある高速道路、駅前の商業施設…と視界に入る情報量が格段に増える。そういう意味では、先ほどの一階の場合と比べると「視野」が拡がる。そうすると、「あの車は何処に行くのか」「あの家族連れは何を楽しそうに話しているのか」「あの商業施設では今日どれくらいの売り上げが見込まれるのか」「今日の雲の形、独特だな」とか、いろんなモノやヒト、関係性についてそれぞれの立場になって考える事が増える。故に、一人で考えるよりも考える思考の幅や「視野」が広くなる。
視界が開けた場所や、高層ビルが建ち並んでいない「空が広い」場所でも同じ事が言えるだろう。

思考的な「視野」が広くなると、今までの自分の考えていた事と比較が可能になる。「本当にその考えでいいんだっけ」となる。

だから、わりと自分が身を置く環境、例えば住むところについて考えることは、わりと重要かもしれない。
自分の話をすると、私は以前はアパートの2階に住んでいたが、今年から現在6階建てのシェアハウスの一室に住んでいる。水回りは共用なので、必要があれば自室から一個上の階に移動する必要があるのだが、その際に、毎回自室とは異なる景色が窓から見える。その時、自室で考えていた事をふと考え直すことが、よくある。私はその時間が、わりと好きだ。

もちろん、「だから『高所』がいいんだ!1階にいると視野が狭くなる!」みたいなことを言いたいのではない。んなわけない。それは、人それぞれだろう。たまたま、私の場合は高所が性に合うだけだろう。

コロナの影響で、旅行に行くとか、そうした形で家から出て新しい景色に出会うのには中々難しい日々が続く。ただ、工夫次第で新しい景色や見方に出会えるヒントはあちらこちらに転がっている。
あえてコレを「チャンス」と捉えて、この状況だからこそ見えるものを探していきたい。

P.S.今更HIKAKINさんの動画拝見したんですけど、パイオニアたる所以がわかりました。本当に凄いっす(非論理的感想)


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