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東京生まれ東京育ち、初めての移住。2024年の振り返りと来年に向けて


東京での日々

ここは昨年春に家族と移り住んだ場所。長野県のとある町。

僕にとって今年は生活の場を変えたという意味で特別だ。
46年間生きてきて、初めて東京以外の土地で丸1年を過ごした年
過去、半年や数ヶ月という経験はあるが、自分の人生の大半は東京で、そこで過ごす事に疑問も覚えていなかった。旅は好きだし、旅行会社に勤めている現在移動することも多い。しかし生活の拠点を1年以上移す経験はなかった。

今覚えば、それが人生の選択の軌跡であるようにも思う。
生活の拠点を移すこと。人にとって多くは人生の転機であったり、挑戦した結果であったりすると想像する。

東京に住み続け東京生まれ東京育ちを自負しながら、
(今思い返せば)挑戦を避け、保守的である事を平然に東京の暮らしに馴染んでいた、そしてそれが良いこと、幸せであるとを疑うことはなかった。

この町にきた動機は自分の中の「人間らしさ」を取り戻すためであった。人に嫉妬し、不安になるも、正しいと思い込み、評価の善し悪しに苦しんだ。

そして思考しながら、移住が見えてきた。
自然が近い場所で、循環する暮らしを目指し、競争主義の世界線から抜け出すことを望んだ。昨年時点では環境を変えることで自分が変わることを望み、他力本願であることは否めないが、殻を破るという意味では1歩を踏み出したと確信している。

東京以外の場所での1年

そして今年1年この町で生活してみて、どうだったか?
一言で言えば、「今よりも成長したい」が現在地。
元々住んでいる地元の方々はもちろん、移住者も多いこのエリアには、本当に魅力的な人が多い。本来東京にこそユニークな人はたくさんいて魅力的な人ばかりであろうと思うが、僕自身にその人たちに目を向ける余裕が無いために見過ごしていたことも要因だとは思う。

いずれにしても、挑戦を避けてきた自分にとって魅力的に映る彼らは眩しく、引け目を感じ、嫉妬を覚える時期もあった

しかしそれ以上に魅力的な彼らたちは、僕の小さな嫉妬が霞むくらいにフラットに扉を開いてくれる。その関係性の中で自分にできることを少しづつ探求してきた1年だ。

会社は今年M&Aで体制が変わりリモートが解除された。週5日東京に行くべきか、キャリアを落としてリモートにするか選択を迫られた。もやもやを抱えながらもリモートを選択しようとしていたある日、日ごろからお世話になっている方に「東京の仕事中心から少し生活をシフトしようと考えています」と伝えたら「田舎で全部捨てるのはリスクあるから、それ位がいいよ。のんびりがいいよ」と声を掛けてくれた。「のんびり」だけど確実にこの土地を広げていった彼の言葉は僕の全身を震わせ心にスッと入ってきた。

何かを終わらせることで見えてくる景色があるように思う。
後から振り返ると、それらの出来事は数珠繋ぎのように繋がっていることが沢山あるが、その時は繋がりが見えない。今が最悪な時と考えてしまう。
本当は道を変える分岐点に立っているかもしれないが、周りが暗く見えず怖い。未来が見えなくて、次に向かうエネルギーが消耗していく。
だから一番苦しいのはその次に向かおうとしている時だ。
今年1年を総括すれば、その中間期で揺れている時期に居た。
そして締めくくりの現在において自分は「今よりも成長したい」であり、
これはつまり、過去の一部を終わらせることで、次の未来が見えてきていると解釈している。

今年読んだ本の1冊が僕の今の状態を言い得ていた。佐宗邦威さんの「じぶん時間を生きる」。本書によれば自己の変化が起こる際には「チャンジ」による外的要因(自身の場合は移住がそれに当たる)と、「トランジション」と言われる内的要因の変化があると説いている。更に「トランジション理論」には3つの段階(終わらせる時期、ニュートラルゾーン、新たな始まり)が存在し、その間を行き来しながら次のゾーンに入ると書かれている。まさにその通りだと思う。そして本の一節にはこんな言葉が引用されている。成長したいと願う今の自分とリンクしている。

『変化から意味を見出す唯一の方法は、変化に飛び込み、行動し、(そのダンスに)参加することなのです。』

アラン・ワッツ

来年に向けて

1年を振り返ると、1年前はただの移住者。
庭をやろう。畑をやろう。田んぼにも関わりたい。
時々東京に足を運び、お金を稼ぎ、少しづつローカルの活動を広げたい。
そんなふわりとした考え方。

少しづつ暮らしを整えていく中で、何度も思ったこと。東京の暮らしと田舎暮らしの違いは「余白」があること、時間や場所や心に余白がある。
余白があると、人に対して優しくなれる、慮ることができる。何かをシェアすることができる。自分の時間を他人のために使える。だから田舎はより人間的な活動に直結しているように思える。

GiveとTakeの考え方で言えば、
自分が消費されない程度にGiveができる場所で、
受け取る側からもGiveされていることを感じることができた。

具体的に今年この町で僕自身が実践できたことのGiveは労働力だったり、参加することだと考えていた。それは利他であり徳を積むという表現でもある。少しのお金でも参加したりすることはTakeはあれど、それ以上に気持ち的には自分ができるGiveであった。でもそれは特定の人へのGiveである。来年は僕自身がもっと1対特定多数に向けて、主体的にGiveできるようになりたい。その為の専門性や技術の磨きが必要であることは言うまでもない。

10月、自分の中で現在の会社キャリアを終わらせた。給与が下がるキャリアダウンは本当に不安だ。でも2年前会社を辞めようと悩んだ時期と比べると全く違う感覚。受動的に捉えているか能動的の捉えているか。
考え抜いて導いた決断はいつだって人生の分岐点である。

岡本太郎は言っている。
「笑ってしまう位、不器用なほど面白いものができる」と。
頭を使い、身体を動かし、人生を進めていく。

この場所のコミュニティに朝活というものがあって皆で使う田んぼや里山を毎朝皆で整備する。今年から参加しているが朝活で自然と接していると、自分の中のエネルギーが満たされているのを感じた。
この場所で経済がまわせるようになりたい。自分が感じている熱源は
「大義×自然×観光」この枠にはまってできることは無数にある。
そしてこの町の里山で少しづつそれらを表現してみたい。

年末最後に読んだ
「ゆっくり、いそげ」が今後の指針になる程良かったので、P237から一文を抜粋

お金のために働くこと、お金のための経済をやめる。
お金以外の価値の大事さを見直す。
一つ一つの仕事に、時間と手間をちゃんとかける。自分の目的のために
目の前の人を利用するのではなく、支援するために力を尽くす。

「ゆっくり、いそげ」

今年1年、自分なりの豊かな時間を朧げながらに実感できた。関わってくれた全ての人に感謝。新しい観光・旅行領域のチャレンジ。2025年が楽しみだ。


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