逃げている方がラク!?
【現役産婆うっしーの神官見習い日記.8】
前回の記事はコチラから
嫁として老親の面倒をみたり、家の事を手伝うのは当たり前かもしれないけれど、
オカシイと思うことを自分のココロにウソをついてまでやるのは間違っていると思っていました。
逃げている方がラク!?
義母とは、同居の件や今後の方向性、跡継ぎの件を含め、すべてをいつかはちゃんと腹を割って話し合わなきゃいけない、向き合わなきゃいけない、と思ってはいましたが、
「また今度、また今度・・・」とずっと逃げてきました。
だって、
苦手なことに直視するのって痛いでしょ?
逃げてる方がラクなんですもの。
そうこうしているうちに、とうとう義母の目を直視できなくなり、
義母と逢ったあとは「誰も知らないところに行ってしまいたい。消えて居なくなってしまいたい」と思うようになりました。
もう、病んでるよね~ww
私はね、元々誰かに束縛されたり、自分の事をあれこれと指図されるのが大嫌いなので、
「この家に縛られるくらいならいっそのこと、この家を出て一人で別の土地で好きな仕事始めちゃおうかな~」と思ってしまったのです。
産婆として条件のいいお仕事案件も来てたし、何なら神官になるのなんてもう辞めてもいいんじゃね?ってね。
かなり疲れてたし、やさぐれてた。
常々、主人には義母の言動について知っておいてもらってた方がいいと思っていたので、事あるごとに報告をしていました。(基本、主人は全面的に私の味方怪獣です)
そもそも、嫁姑問題を独りで抱え込むのは違うと思っていたし、抱え込めなかった。
そしたら、主人も私とほぼ同じ気持ちで受け取っていたんですね。
そんな私の憔悴ぶりを見かねた主人がある日、口火を切ってくれたのです。
直談判
主人は義母にこれらのことをはっきり告げました。
・お母さんの言動はパワハラ的なものと同じで私たちは傷ついている。
・お母さんはこれまで自分の想い通りに動いてきた。自分の思い通りにはカラダが動かなくなった今、今後は面倒を見てもらう人の意見も聞く必要があるのでは?
・今のままでは同居はできない。同居しても破綻する。
・メンタル的に今の言動のお母さんから神職を学ぶのは難しい。
・神職を継いだとしてもお母さんと同じ流れになるとは限らない。
ここには書きませんが、かなり詳細にこれまで23年間で起こったことについて言及し直談判したのです。
これ、直近の上司にたてつく的なことですよねww
(動いてくれた主人には頭が下がります)
義母は最近主人(息子)が自分に反発しているのは感じていたとのことですが、
よもや、私までもが義母の言動に傷ついていたとはこれっぽっちも思っていなかったようで、
「うちは本当にお嫁さんとうまくいっててよかったわ~」と思い込んでいたようです(笑)
このことを義母の口からきいて本当にビックリしました。
今は、こうしてサラリと書いていますが、
主人が口火を切って話をし始めたあと、私が義母と顔を合わせ腹を割ってこれまでの溜まりに溜まった膿を吐き出した時は、
それは、それは、、、それなりに修羅場でしたよ(苦笑)
ただ、いつか、どこかで、この不快感は伝えておかなきゃと常々思っていたので、
このタイミングではっきり同居はしたくないこと、今のままのお母さんでは私たちは聞く耳が持てないから、言動を慎んで欲しいということをハッキリ伝えたので、
わだかまりはなく、すっきりしました。
ひ~~ッ、めっちゃ緊張したわ。
人に苦言を呈すのって勇気要りますよね。
しかも親とはいえ、年長者に対して言うのは言葉も選ぶし、相当なストレス。
まぁね、
私たちがここまで言ったからと言って、80歳になろうとしている人の言動が今さら変わるとは露とも思っていません。
そして、この宇宙には「自由意志の法則」というのがあって、
人は変えられませんからね~(苦笑)
当然、義母にも私たちの生き方は変えられないのと同じです。
ただ、今回の話し合いにより、
私たちが思っていることと、義母が思っている事にはかなりの価値観と方向性の相違があって、
今後の生活についてはもっと腹を割って具体的に話し合っていかなきゃならないという事がわかりました。
私たちの意向は一旦受け止めてもらえたようで、義母からはこれまでの事に対し謝罪とねぎらいの言葉がありました。
その後、義母は一晩ゆっくり考えてご神前で祝詞をあげながらこれまでの振り返りをしたそうです。
そしたら、涙が溢れてきたと。
実は、私も主人もこれまで一度たりとも、義母の涙をみたことがありません。
仕事に関することはもとより、
家族に不幸があっても、辛いことがあっても、どんなことがあっても涙を見せたことはない気丈な義母が、ご神前で涙したと聞いた時、
何かがふっと浮かばれたように感じました。
「もう、これでいい」と。
それから主人と私はこれまで通り、義母の身の回りの世話をしたり、様子を見に行っています。
そして、秋の大祭へ向けての準備に励んできた中で感じたことは、
嫁いできて23年間の中で過去一、ご奉仕のあとの疲労感が格段に少なかったということ。
今のところ、義母の言動で気になることはさほどないため、
おそらく私自身の封印していた膿が全部出きってしまい、ストレスが大きく軽減されたのだと感じています。
雨降って地固まる
私が常々個人セッションでクライアントさんにお伝えしていること。
人生をうまくいかせるための原則に以下の2つがあります。
1、「自分のココロに正直になる」
2、「自分のテンションが下がることからは離れる」
これら2つは、これまで私自身はわかったつもりでいましたが、本当のところは自分がまだ実行出来ていなかったことに気付きました。
自分のココロに正直になることは常々やっていて、その都度自分の声を聴くことはできていたが、その声に対しての対策をとっていなかった。
それでは、ココロは悲痛な声を必死であげていても
「そうだよね」って慰めてもらうだけで結果は何も変わらず、ずっと押し殺されたまま。
今だからわかることだけれど、わかった様でいて「自分の声を聴く」ことの真髄をまだ理解できていなかったのです。
そして、自分のテンションが下がる事からは離れることについては
「私はもうムリ」と家族に伝えたのをきっかけに主人が助け舟を出してくれ、
結果、うちにも嫁姑問題がある事が明るみにはなったが、それぞれが意見をぶつけ合う事で解決の糸口が見えてきたし、
少なくとも私のストレスは大きく軽減しました。
個人的には、ストレス軽減の方がかなり助かったと思っています(笑)
「雨降って地固まる」ってまさにこんな感じのことなんだろうなって感じ。
今年もあと1カ月半で終わり。
2022年の収穫は、
長年潜在化していた当家の嫁姑問題・後継問題に大きく切り込んだことで、今後の具体的な検討事項が明確になったことと、私のストレスが大きく減ったことかな。
親の面倒をみるかどうかは、子どもが決める
私はね、正直子どもが老親の面倒を見なきゃいけないとは思っていません。
今まで育ててくれた感謝の思いと親孝行で面倒を見たいと思う人は面倒見たらいいんだと思います。
ただそこには、
今世、親子関係で生まれてきたからにはきっと何かしらの意味があって、
今世、ご縁をもってきているとしたら何なのか?を紐解いていくのも親子関係の問題を解決するきっかけになるのではないか?と思うのです。
その視点から、私たちの関係を魂レベルで紐解いていくと、
実は、私と義母の間にも今世の繋がりだけではない過去世の因縁があったのです。
そこについては、また次回に続きますね。
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