伊川津貝塚 有髯土偶 70:仙境に入る
愛知県新城市(しんしろし)川合(かわい)の乳岩(ちいわ)を目指して乳岩川の河床である桟敷岩上を北上すると、遊歩道は乳岩川の左岸(東岸)に移りました。
遊歩道が左岸に移ると、いよいよ山岳部に差し掛かり、鉄製の登り階段が現れた。
乳岩川には巨石があって、階段を通すために巨石の側面は削られているようだ。
階段を登ると、遊歩道は乳岩川を見下ろす狭くて路面がデコボコの岩になった。
通路から乳岩川の流れる谷を見下ろすと、複数の巨石が折り重なって水路はまったく見えず、頂が通路より高い巨石も存在する。
通路は30cm幅しかない場所もあり、左手は谷底、右はなだらかな岩肌の土手という部分があって、自分が垂直に立っているのか判断できない場所もあり、滑落する人がいるという注意書きがあったが、あり得ることだと思った。
自分は片手にカメラを持ちながら歩いているので、余計危険な状況だった。
このあたりで、早くも乳岩から降ってくる人たちと遭遇するようになった。
通路は一人しか通れない幅なので、交互に待って、通行を譲り合った。
登っていくのはほとんどが男女のカップルだったが、降ってくる人は男女とも高齢者が多く、熊鈴を付けている人が多かった。
やはり、熊との遭遇には備えるべき場所のようだ。
一方で、サンダル履きの若い女性もいる。
左岸に移って北上する途中、久しぶりに水路の露出している場所があった。
凝灰岩の下部が剥落して扇形になり、両側の土手に引っかかっている巨石だった。
その扇形の最下部がエメラルドグリーンの水面に接触していた。
水深は5cmもないかもしれない水路だった。
さらに上流に移動すると、眼下のほとんど平らな河床に底面が平に見える立方体の巨岩が置かれたように存在していた。
巨石の上面には土が堆積しており、上面の四角いエッジに沿って雑草が繁殖していた。
乳岩川は水面が広がり、水深はさっきより増え、水流に動きが出て来ている。
河床が白いため水は透明なエメラルドグリーン色に、きらめいている。
続いて上流に移動すると、角の無い石が増え、巨石は減少して来たが、石の上には土が堆積しており、雑草や潅木が繁殖している。
そして、乳岩川の水深はさらに増えてきている。
しかし、この上流では再び河床は少し小粒になってきている巨石群で埋まり、その狭間を水が白い泡を立てながら流れていた。
もはや岩の上に土砂の堆積は見えなくなっている。
左岸の遊歩道が終焉に近づくと、モニュメントのような入仙橋が乳岩川に架かっていた。
「入仙橋」の読み方の情報が見当たらないが、「仙境に入る橋」の意味なら、本当にそれにふさわしい場所がこの先に存在していた。
この部分では河床に転がっている岩は見えるものの、河床も岸も土手も遊歩道も、凝灰岩が一枚岩となってすべてつながっている。
入仙橋の橋脚も、乳岩川の河床に立っていた岩を削って鉄のリブを取り付け、橋桁を支えるようにしてある。
橋の上流側に水面は見えるものの、橋の下流側には水がまったく流れていない。
このすぐ下流では水量はあったので、脇から複数の流れ込んでいる水が多いのかもしれない。
入仙橋上から下流側の河床を見下ろすと、河床にも岩にも土砂はまったく見えなかった。
それでも水分はあることから、シダ類が繁殖していた。
入仙橋を右岸(西岸)に渡ると、そのまま遊歩道は乳岩川から離れ、西に位置する「乳岩分岐」(下記登山図内参照)に向かっていた。
上記登山図は乳岩分岐に表示されていたものの部分だ。
この分岐点から西に向かえば乳岩登口、北に向かえば標高1,016mの明神山(みょうじんさん)に至る。
明神山に向かえば、途中に鬼岩があるのですが、とりあえず、乳岩に向かうことにした。
乳岩分岐下の遊歩道脇の岩の庇下には2体の石仏が奉られていた。
右は不動明王だが左は摩耗が激しく、像容は認識できなかった。
乳岩分岐からさらに西の乳岩登口に向かった。
(この項、続く)
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明神山は愛知県を代表する高嶺の一つで、山頂からは南アルプスや富士山が望めるそうです。その山影は日本列島に多いなだらかな山影ではなく、アルプス山脈のような斜面の露出した山影であることから、登山者に人気のある山だそうで、登るには登山申告書を出さなければならない山です。私は登山が目的ではないので、頂上まで片道20分なら登るのですが、すでに20分は過ぎており、それでも鬼岩までは行くつもりでいました。