麻生田町大橋遺跡 土偶A 51:懸魚と唾を吐く呪詛
豊橋市の黒谷神社から西北西12.3kmあたりに位置する豊川市萩町(はぎちょう)の熊野神社に向かいました。
国道1号線を名古屋方面に向かい、山岳部に差し掛かったところで、1号線から離れ、山陰川でできた谷間を北上し、さらに山陰川に流れ込んでいる室川の西側に沿った道を登っていくと、途中から林道に入り、右手の室川は谷となり、竹が繁殖していることから、道路からは視認できなくなった。
左手は森になった山裾の土手だ。
しかし、そんな林道は長くは続かず、林道を抜けると右手に畑地が広がった。
その左手の土手の麓に1対の常夜灯が設置されており、常夜灯の間から急な石段が立ち上がっていた。
石段には2ヶ所の踊り場が設けてあり、上の踊り場に石造伊勢鳥居が設置されている。
愛車をそんな土手の麓に駐めて、石段を上がり、石鳥居の前に立つと、鳥居にはここが出雲系の神社であることを示す立派な注連縄が掛けられていた。
鳥居をくぐって、最後の石段を上がっていくと、瓦葺入母屋造棟入の立派な拝殿が石段に迫っていた。
妻側(屋根の頂点の三角部が見える側)がこちらを向いていることから、妻飾りの懸魚(げぎょ)をポイントにし、軒を支える垂木(たるき)の小口を白くペイントして装飾し、正面は板壁に格子窓の付いた板戸が閉め立てられ、いずれの処理も上品な仕上がりだ。
ちなみに懸魚とは魚を掛けて吊るした形態を抽象化した火除けの飾りで、魚が水を呼ぶものであることから、「水(魚)を掛ける」ことの洒落になっている呪いだ。
拝殿は1.2mほどの高さに石垣を組んだ土壇上に設置されており、そんな拝殿前まで上がって参拝した。
境内に案内板の類は無く、ネット情報によれば祭神は以下の3柱となっている。
速玉男尊はイザナギの別名とも解釈でき、イザナミとイザナギを対で祀っている総本社は熊野三山の中でも熊野速玉大社ということになる。
ただし、イザナミは別名の熊野夫須美大神として祀られている。
『日本書紀』の一書にはイザナギがイザナミの遺体を見たことから諍いとなるが、お互いに穏やかになりイザナミが「もう縁を切りましょう」と言い、イザナギが「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐く。
その唾から生まれた神が速玉男命で、次いで掃きはらって生まれた神が泉津事解之男となっている。
唾を吐いたのは捨て台詞だったからではなく、二人の間の誓約にダメ推しの呪いをするためだ。
同じ呪いは海外にも存在する。
クレジットカードの普及で現在も行われているかは不明だが、英国の商店では、その日最初に入ったお金に唾を吐きかけることで、清めて売り上げが伸びるように願う風習があったという。
東アフリカのキクユ族は挨拶として、相手の手に唾を掛ける。
これは相手を魔から守るための呪いになっている。
それはともかく、荻町 熊野神社の祭神のラインナップは、亡くなったイザナミと夫のイザナギが誓約をした神話が元になっていると解釈できる。
『愛知県神社名鑑』の荻町 熊野神社には以下のようにある。
ここ熊野神社で参拝して拝殿内を見たところ、ここも直前に寄ってきた黒谷神社と同じく、渡殿は短いが階段になっており、本殿に続いていることが判った。
拝殿の南側に回ってみると、渡殿の裏面に高さ6m以上ありそうな石垣が組まれており、その上にトタン葺き素木造の大和屏が巡らされていた。
その塀の向こう側に瓦葺の屋根が覗いている。
よく見ると、その石垣の上に登っていける石段がコンクリート塀で目隠しして設けられていることに気づいた。
その急な石段を登っていくと、ブルーグレーにトタン壁を染めた本殿覆屋が設けられていた。
ところで、ちょうど1ヶ月前の2月6日(旧正月)は熊野速玉大社の摂社神倉神社(かみくらじんじゃ)の御燈祭(おとうまつり)の日だった。
熊野地方に春を呼ぶ、この祭の起源は飛鳥時代ころとされる。
「上り子(あがりこ)」と呼ばれる2,000人の白装束・白足袋に草鞋履き、腰に荒縄をまとい、松明を手にした正装の男たちが、神倉神社の山上社殿から一斉に一気に山の下へ駆け下る。
その様子が「下り竜」とも称され、炎の龍が現れたかのような光景が見られる祭だ。
亡くなった俳優の原田芳雄さんとお話をした折、原田さんは毎年、この祭りに参加して上り子を勤めているとのことだった。
いかにも男臭いイメージの原田さんの似合いそうな祭だ。
ちなみに女人禁制のため、女性は上り子として参加することはできない。
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御燈祭は昨年に引き続き、今年も新型ウイルス感染拡大防止のため、上がり子の参加を中止し、関係者のみで神事を執り行ったようです。
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