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今朝平遺跡 縄文のビーナス 81:カブトムシ型石仏
愛知県豊田市明川町(あすがわちょう)の大岩山弘法大師から飯田街道(国道153号線)に戻り、稲武町に向かいましたが、ここからの記事は2023年8月に体験したことになります。
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大岩山弘法大師から飯田街道に出る明川交差点から飯田街道を12.1km移動すると豊田市御所貝津町(ごしょがいつちょう)の真弓大橋西交差点で飯田街道から分岐する稲武線に出る。
この稲武線は御所貝津町と稲武町の住宅街を抜けて、東2.3km以内の稲武町交差点で再び飯田街道に合流している。
南に連なる山の尾根の中腹を通る、言わばバイパスの飯田街道と、その尾根の北裾を流れる黒田川沿いの地元民の住宅街を通る稲武線のどちらも稲武町を通っているが、次の目的地は稲武線の北側に位置する御所貝津町の誓約神社(うけいじんじゃ)なので、稲武線に入った。
稲武線に入ると、690m以内の左手に石造物が集めてある1画があったので寄っていくことにした。
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ここも御所貝津町だ。
地元消防施設の駐車場脇に1段だが石垣を組んで平地にした緑地に常夜燈や板碑などが置かれていた。
上記写真の緑地の向こう側は落差はあるが、すぐ黒田川だ。
石造物群の中でもっとも明快なものが、最も大きなボリュームのある板碑だった。
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火炎枠を凹刻した中に「馬頭観世音」(ばとうかんぜおん)と刻まれた板碑が自然石が地面から頭を出したかのような基壇に乗っている。
「馬頭観世音」碑でこんな大きなものは、ほかで見たことがなく、基壇を除いても、高さが2.3mくらいありそうな文字碑だ。
馬頭観世音菩薩は仏教における観世音菩薩の変化身の1つだが、馬頭観世音菩薩の仏像ではなく、飯田街道周辺の文字碑で奉られたものは個人が路傍で急死した愛馬への供養として造立したものだとみてよさそうだ。
文字碑であれば、短期日で造立できるからだ。
この板碑の大きさからは持ち主が、かなり可愛がっていた馬であったことが偲ばれる。
この文字碑の存在は飯田街道が日本を代表する馬を使役して塩や煙草を運んだ街道であったことと関係している。
この馬頭観世音碑の周囲には複数の石仏が奉られていた。
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上記写真後列の同じ基壇上、右から2体目の頭の失われているものは地蔵菩薩。
上記写真左端手前は自然石、その奥の円形の石は自然石なのか文字碑なのか、よく解らない。
ほかの4体は以下で紹介する。
まず、地面に直接置かれている右から2体目の石仏だが、頭頂に角のようなものが付いている石仏だ。
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ここが飯田街道周辺の街道であることから推測すると馬頭観世音菩薩像だと思われる。
ただ、多くの馬頭観世音菩薩像は頭髪の中に獣の姿が入っており、頭頂に乗っている例はほとんど存在しない。
他地域ではほとんど見ない石仏なのだ。
そして、両腕は胸の前で印を結んでいるように見える。
馬頭観世音菩薩像は以下のような馬の頭部を模した根本馬口印を結ぶのが基本の姿なのだが、
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この石仏は像高が40cmほどで、この寸法の石材で根本馬口印を彫像すれば、すぐに突き出ている指が破損してしまうので、破損しないように省略して彫像するものなのであることと、風化していることから、かろうじて印を結んでいるのが推測できるレベルの彫像だ。
馬頭観世音菩薩腕の数は8本の場合が多いが、この像では腕が2本だと思われる。
上記の石仏の右隣の石仏は頭頂に尖った耳のある獣の頭部らしきものが乗った石仏だが、腕に関して、右腕はやはり印を結ぶポジションなのだが、左腕はどうなっているのかよく判らない。
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印を結んでいたのが破損して、現状になっているように思える。
腕は複数本あるようにも見える。
上記石仏の背後の基壇上に奉られている右端の石仏は、やはり角のように頭頂に乗っているものがあって、2本の腕で印を結んでいるように見える。
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これも、馬頭観世音菩薩像とみていいだろう。
次の基壇上右から3体目の石仏だが、頭部は不明で胸の前で印を結んでいる、もしくは合掌している。
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見たことの無いのが、両腕を肘で曲げて、上に突き上げていることだ。
これが腕なら八臂(はっぴ:八本)像である可能性があるのだが、内4本の腕は不明確だ。
ここの状況からすると、馬頭観世音菩薩像ではないかと思われるのだが、確定できないところがある。
何れにせよここに置かれた馬頭観世音菩薩像は他地域のものとは異なる特徴のあるものだった。
もう一基、以下のような文字碑が存在した。
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可読性のある文字を拾い出すと以下のようになった。
川下深奥山半僧坊道
川上天照皇大神宮道
(※「川」は実際には上記2行を兼ねて1文字で刻まれている)
〓十〓〓
願主 〓〓新〓
noter雑記草さんのご指摘で「川」の文字が不明だったのですが、川上と川下に分岐する場所に置かれていた道標であることが解ってきました。
その場所とは東西に流れている名倉川(黒田川上流部分)と、そこから南に分岐して南に流れている同名の名倉川と稲武線の交点に置かれていた道標であった可能性が高いと思われます。
深奥山半僧坊道とは静岡県浜松市の深奥山(じんのうざん)方広寺のことで、臨済宗方広寺派の大本山で東海地方を代表する禅寺だという。
ここからほぼ真南42kmあまりの場所に位置している。
まさに道標にある「川下」に当たる。
となると、「川上」の「天照皇大神宮」とはどこを指しているのだろうか。
川上には矢作川が存在し、名倉川は矢作川と合流している。
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この石造物の集められた「御所貝津町」は昭和期には稲武町に含まれていたのが、平成になって現在の町名になったものです。しかし、この名称は謎な町名です。なぜ、この辺鄙な場所に「御所」なのか、山奥なのに「貝津」なのでしょうか。『角川地名大辞典』によれば、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の皇子宗良親王(むねよししんのう)の第2皇子といわれる尹良親王(ゆきよししんのう)が住んでいたことによるという。山奥なのに「貝津」に関しては謎のままです。