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今朝平遺跡 縄文のビーナス 19:最古の巡礼地ミラー・サイト

愛知県知多郡阿久比町(あぐいちょう)の圓通山興昌寺(えんつうざんこうしょうじ)から福山川に沿った南側の幹線道路を東に辿って、東南東440m以内にある板嶺山(ばんれいざん)安楽寺に向かいました。

愛知県知多郡阿久比町 板嶺山安楽寺 観音堂・地蔵堂/阿久比町 熊野神社
愛知県知多郡阿久比町 板嶺山安楽寺 観音堂・地蔵堂/阿久比町 熊野神社
愛知県知多郡阿久比町 板嶺山安楽寺 観音堂・地蔵堂/阿久比町 熊野神社

安楽寺は福山川沿いの道をはさんで、福山川に山門に上る石段が面しており、石段前には無名橋3(仮称)が福山川に架かっていた。

阿久比町板山川向 無名橋3下流側

橋上からやって来た下流側を眺めると、美しくコンクリートブロックで護岸された福山川は深くなっており、川床まで3.5mくらいありそうだ。
この部分の水路は直線になっているので、土砂の堆積は少ないが、それでも左岸側(上記写真左側)の堆積部分は雑草に覆われている。
安楽寺のある右岸(上記写真右側)は丘陵になっており、階段状に通路が上下に重なるように福山川に平行に狭い舗装路が延びている。

一方、無名橋3上から上流側(東側)を見下ろすと、左岸(下記写真右側)の護岸面が切り欠きになって幹線道路側に歩道が削られており、川床に降るための石段が設けられていた。

阿久比町板山川向 無名橋3上流側

川床には一部、砂が堆積しており、雑草の茂っている部分がある。
右岸(上記写真左側)には福山川沿いの道から分岐した安楽寺私道の登りスロープがあり、その向こう側に隣にある熊野神社の社叢が茂っている。

安楽寺の建造物は比較的新しく、山門下の石段の向かって右脇に庚申塔、不明の祠、地蔵菩薩石仏が並んで祀られていた。

愛知県知多郡阿久比町 板嶺山安楽寺 山門

これらは、安楽寺が密教寺院から現在の曹洞宗に宗旨替えした時に、門外に出されたものと思われる。

●特異な庚申塔

板嶺山安楽寺 庚申塔

庚申塔(上記写真)は尾張地区でしか見られない特異な正面金剛を浮き彫りにした舟形の板碑だった。
この正面金剛像の何が特異かというと、腕が四臂(しび=4本)で、しかも持物が左右の腕で同じものを持っていることだ。
腕は二・六・八臂(はっぴ)はよく見るものだが、四臂はまず、目にすることは少ない。
実際、個人的には初めて目にした。
それよりもありえないのは左右の腕で同じものを持っていることだ。
こんな仏像は目の前のこの石仏を製作した石工しか製作していない可能性が高い。
前の両腕でショケラ(女性の姿をした三尸虫)としか思えないものを握っており、広げた両腕にはそれぞれ鉾を持っている。
三尸虫(さんしちゅう)とは道教に由来する、人間の体内にいると考えられている虫のことで、正面金剛は三尸虫を捕まえて退治する役割をする存在なのだ。
それはともかく、仏像で4本以上の腕を造形するのは持物を4つ提示するためなので、同じものを二つ見せても意味は無い。
ショケラと鉾を見せたいなら腕は2本でいいのだ。
尾張で特異な庚申塔が見られるのは、通常、庚申信仰は庶民の間で行なわれるものなのだが、江戸時代の尾張藩では侍が庚申信仰を持ったようなので、それが原因になっている可能性がある。

石段を上がり、山門をくぐると、正面10mあまり先に瓦葺入母屋造平入の建物があり、写真には全部写っていないが、参道には青紫地に「知多 西国三十三所霊場」と白抜きにした幟が2本と白地に「知多四国霊場」と墨書きされた幟が3本立てられている。

板嶺山安楽寺 観音堂

「知多 西国三十三所霊場」とは観音菩薩を祀る近畿地方2府4県と岐阜県の三十三箇所の札所寺院と三箇所の番外寺院からなる観音霊場に相当する霊場を知多半島の観音堂に当てはめたものだ。
つまり、この建物は観音堂ということになる。
『阿久比町』の公式ウェブサイトによれば、この観音堂には9年に一度開帳される秘仏の聖観音像が奉られているという。
一方、西国三十三所霊場というのはWikipediaによると、「日本で最も歴史がある巡礼であり、現在も多くの参拝者が訪れている。」とある。
西国三十三所霊場に関しては知多半島で幟を見るまで、まったく知らなかった。
四国八十八ヶ所巡礼の方は、ほとんどの日本人や今では海外にも知られているが、西国三十三所巡礼のことは、こちらの方が旧いどころか、存在自体知らなかった。
上記写真左の2本の幟の「知多四国霊場」とは四国八十八ヶ所に相当する霊場を知多半島で再現したものだ。

この上記2本の幟の示す、左方向(西)に南向きの観音堂とは90度向きの異なる地蔵堂が東向きに設置されている。

板嶺山安楽寺 地蔵堂

この建物は比較的新しい入母屋屋根を持つ鉄筋造棟入の建物だ。
入り口向かって右脇の笠を被った僧侶立像は弘法大師だろうか。
この地蔵堂に関して『阿久比町』の公式ウェブサイトには「地蔵堂には、耳の遠い人が穴の空いた柄杓を供え、お祈りをするとよく耳が聞こえるようになるといわれている天白地蔵が安置されています。明治・大正時代には三河地方や伊勢地方の地名のある柄杓もよく見られたと言われています。」とある。

観音堂の並びで東側には安楽寺の本堂がある。

板嶺山安楽寺 本堂

現在の安楽寺で、もっとも大きな建造物だが、この建物は知多 西国三十三所霊場とも知多四国霊場とも関係が無いので、幟が建てられていない。
山門の正面に位置する現在の観音堂が、旧来の本堂だったと推測できる。

安楽寺を出て、福山川沿い南側の幹線道路を東に70mあまり移動して阿久比町 熊野神社前の福山川に架かった無名橋4(仮称)に移動した。

無名橋4は石造の太鼓橋だった。
この橋の周辺は愛車を駐めるスペースが無かったので、幹線道路の路肩に余裕のある場所に愛車を駐めて、太鼓橋に戻った。
橋上からやって来た下流側を見ると、安楽寺前の無名橋3が見える。

阿久比町板嶺山川向 無名橋4下流側

福山川の表情に大きな変化は見られない。

上流側を見ると福山川の上流20m以内に架かっている橋から水路は左に曲がっており、福山川が幹線道路から離れていっているのが確認できる。

阿久比町板嶺山川向 無名橋4上流側

上流側の右岸(上記写真左側)の護岸に変化があり、幅30cmほどの高水敷が設けられているが、その下に赤錆の出た鉄製の柱が林立している。

太鼓橋上から熊野神社の杜を見ると、太鼓橋の延長上に表参道がまっすぐ北北西に延びており、太鼓橋の少し先に銅の伊勢鳥居が建てられ、それを社叢が覆っている。

阿久比町 熊野神社

熊野神社になぜ伊勢鳥居が。
鳥居の先、正面にのぞいている拝殿までは60m以内だ。

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阿久比町 熊野神社の存在から、この地から特殊技能者が各地に出ていることが明らかになってきました。

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