御用地遺跡 土偶 22:台地の端の前方後方墳
安城市の二子古墳(ふたごこふん)の南端から南々東200m以内に位置する比蘇山古墳(ひそやまこふん)に向かうため、比蘇山古墳のある碧海台地の東側の麓に向かう道路を南下しました。
比蘇山古墳は上記地図の赤破線で囲われた部分だが、比蘇山古墳のある丘陵は上記地図にあるように北北東に尖った爪の形をしている。
赤破線の南側は便宜的に直線にしてあるが、それは現在の墳丘部分(上記MAP黄色部分)の南側が櫻井神社の社殿の設置されている土壇で、直線になっているからだ。
比蘇山古墳に関する形とサイズなどの情報は『遺跡ウォーカーβ』(http://www.isekiwalker.com)に以下のようにある。
所在地
愛知県安城市桜井町桜林
遺構概要
古墳(方円墳)。 <現況>神社境内地。 集成、古墳(前方後方墳)。標高14m、周辺の水田からの比高2m、墳長約40mか。
遺物概要
集成、埴輪未確認。
発掘概要
集成、1988年3月26日実査。
『遺跡ウォーカーβ』の情報では「墳長約40mか」とあるが、櫻井神社の社殿の拝殿正面〜本殿回廊裏面までのサイズを地図で計測してみると、やはり40mほどとなっている。
全長約40mの前方後方墳に全長約40mの社殿を乗せるには、その墳丘の全体を削り取って、平地にしなければ、無理だ。
実際の社殿は目測3mほどの高さの土段上に設置されている。
そして『遺跡ウォーカーβ』には「周辺の水田からの比高2m」とある。
この2mとは比蘇山古墳の東側の麓が水田との比高2mという意味なのだと思われる。
実際に比蘇山古墳を東側の麓から観た丘陵の高さは目測だが、6mほどの高さがある。
この上に3mの高さの土段が存在するということは、実際の比蘇山古墳の墳高は9mということになる。
墳長40mで墳高9mというのは円墳ならあり得るバランスだが、二分されている前方後方墳としては墳高が高すぎ、あり得ないバランスなのだ。
実際、直前に寄ってきた同じ前方後方墳の二子古墳(ふたごこふん)は墳長68mで墳高は7mである。
あり得ないバランスに思えるのは比蘇山古墳の南部は碧海台地上にあることからその比高は3mほどなのだが、北部は碧海台地の麓に接していることから、比高は9mとなっていることによる。
比蘇山古墳の墳長は「約40m」とはいえ、北側は碧海台地の麓につながっていることから土手は北に延びており、その麓(上記地図の赤破線の爪先)まで含めるとそのサイズは推定80mあまりになる。
下記写真は比蘇山古墳の北側(爪先)の麓から比蘇山古墳に向かって撮影したものだ。
墳丘は東側の一般道に面している。
丘上には添え木をされた幼木が複数見られるが、これは墳丘の土がこれ以上北に向かって流れないように人為的に植樹したものなのだろう。
その先は森になっている。
森の部分が比蘇山古墳の北端の麓で、形が爪先の形になったのは前方部の土が崩れて流れ出した結果だと思われる。
一方、下記写真は同じ場所を墳丘上から上記写真の撮影地に向かって撮影したものだ。
下記写真は比蘇山古墳の北端部を東側から撮影したものだが、上記写真の部分が下記写真の中央部分に当たる。
12月中旬ということで麓に、はるみみかんが鈴なりに成っているが、これは他で見たことのない大粒のみかんで、安城市の名産の一つだ。
最も高い場所に成っている、はるみみかんの高さが3.5mほどとみれば、写真の左端部分で墳丘の比高は5mほどだろうか。
下記写真は上記写真の左端を中心にし、寄って撮影したものだ。
墳上は背丈の低い雑草に覆われ、切り株が複数見られる。
下記写真は比蘇山古墳の墳丘がくびれている部分を撮影したもの。
一方、下記の写真は同じ場所を墳丘上から上記写真の撮影地に向かって撮影したもの。
切り株が見えている。
そして、比蘇山古墳を東側から撮影したものがヘッダー写真だ。
ヘッダー写真の森に隠れた部分に比蘇山古墳上に祀られた櫻井神社の社殿が存在する。
比蘇山古墳の上に上がるため、墳丘側面の道路を南に辿ると、丘陵はゆっくり下っている。
比蘇山古墳は櫻井神社の境内に存在することになっているので、比蘇山古墳の上に上がるためには櫻井神社の境内に入ることになる。
そこで、比蘇山古墳(櫻井神社社殿)の南々西310m以内に位置する
櫻井神社社頭に向かった。
社頭は一般道脇にあり、表参道は一般道から分岐する舗装道となっている。
社頭に建てられた社号標には「縣社 桜井神社」とある。
『Weblio辞書』によれば、「けん‐しゃ【県社】」の項に「旧制度の神社の社格の一。官・国幣社より下、郷社(ごうしゃ)より上で、県から奉幣した神社。」とある。
社名は以前は当用漢字の「桜」を使用していたのだ。
鳥居は石造八幡鳥居で松並木となっている。
愛車を社頭に駐めて、表参道を進むとニノ鳥居前に出たが、このあたりの社叢はすべて松で、表参道は一直線に北北東に向かっている。
こんなに松の多い場所は20年以上ツーリングしてきたが、遭遇した記憶が無い。
社頭から190m以内で一般道が表参道を横切っている場所があり、そこで舗装された参道は終わり、開けた場所に出るが、社叢はやはり松のみだ。
開けた境内を60m近く横切ると石畳の幅の広い表参道が始まり、最後の鳥居である三ノ鳥居が設置されている。
三ノ鳥居をくぐると、この辺りから表参道の両脇に手水舎などの社殿が始まっている。
鳥居の正面奥40m以内に幅の広い石段があり、その上に拝殿が見えている。
幅の広い石段は初詣の参拝客の多い神社であることを示している。
そして、その石段のある部分が比蘇山古墳の南端に当たる。
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比蘇山古墳が碧海台地の東縁端に位置することと、この古墳に関する情報が曖昧で、記事の内容が二転、三転しました。
この記事は比蘇山古墳上に上がるところまで続きます。