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麻生田町大橋遺跡 土偶A 38:素盞鳴尊と役小角
長山稲荷神社から下条西町(豊川市)にある市杵島姫神社に向かうため、県道380号線から394号線を経由して、ふたたび豊川を渡り、東岸に出ました。
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市杵島姫神社に向かっていると、ビニールハウスの立ち並ぶ場所で、南東向きの小型石造明神鳥居と一対のモダンな常夜灯のある、気になる杜の前を通りかかったので、寄っていくことにした。
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入口脇に愛車を突っ込んで、鳥居をくぐって奥に向かうと、入ってきた参道は脇参道で、表参道は南西側にあることが判り、まずは社頭に向かった。
社頭には「村社 素盞鳴神社」(すさのおじんじゃ)と刻まれた社号標があり、下条西町でもスサノオとイチキシマヒメがセットになって祀られていることを意識させられました。
鳥居前のアスファルト舗装された表参道の両側は畑地になっており、鳥居から表に向かって40m近く延びる表参道の入り口には石造の幟立てが設けられていた。
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鳥居の右手にある寄棟屋根を持つ白壁のモダンな建物は臨済宗妙心寺派の慶増寺で、かつてこの地は神仏習合していた可能性を感じさせる。
石造明神鳥居と社号標のある社頭に戻ってくると、社号標から40m近く奥にある瓦葺の拝殿の間には細かな白っぽい砂利が敷き詰められ、右手は慶増寺の塀、左手は豊川の堤防を社叢が覆っていた。
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石造明神鳥居をくぐって拝殿に向かうと、表参道の両側には対になった常夜灯と狛犬が並び、拝殿は1.2mほどの高さに大型の河原石を組んだ石垣上に設置されていた。
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石垣の組み方は美しく、おそらく江戸時代末期に組まれたものだと思われる。
常夜灯の基壇の規模からすると、かつてはもっと大きな常夜灯が乗っていたことが推測できる。
拝殿は入母屋造で正面には舞良戸(まらいど)が閉め立てられ、中央の戸には格子窓が設けられている。
拝殿前に上がって参拝したが、境内に案内書は無く、ネット上にはわずかに以下の情報しか無かった。
創建は明らかでない。
祭神は素盞嗚尊で、例祭日は3月最終日曜日。
歴代の吉田藩主が当地に鷹狩りの際、当社に詣で獲物を祈ったという。
拝殿内にはシンプルで静謐な空間が広がっていて、印象的だった。
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表参道の左手、豊川の堤防下には瓦葺切妻造棟入で中央で2分割に仕切られ、格子戸を持つ覆屋が石垣の基壇上に設けられていた。
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向かって右側の部屋には素木造の神棚をそのまま大きくしたシンプルで美しい社が祀られており、表札が付いているが文字は可読性が無くなっている。
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左側の部屋には役行者石像が祀られていた。
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右手の錫杖と左手の経巻の頭が失われている。
ところで、役行者(役小角)と素盞鳴尊を結びつけるものは「出雲」だ。
『役行者と修験道の歴史』(著者: 川村一彦)P6には役小角(えんのおづぬ)に関する以下の記述がある。
舒明天皇六年(634)に大和葛城上郡茅原郷(茅原村)(のち掖上村茅原、現在の奈良県御所市茅原 吉祥草寺境内)に生まれる。父は、出雲から入り婿した大角(※おおづぬ)、母は白専女(※しらとうめ)。 (※山乃辺 注)
境内社と役行者の祀られた覆屋の左隣にはコンクリートの枠内に砂利を敷き詰めた中に石が祀られている。
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文字が無いので石碑ではなく、石には太い注連縄が巻かれ、石の前には拝石も設置されているが、何なのかという情報が見当たらない。
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豊川市下条西町にある素盞鳴神社から同じ下条西町にある市杵島姫神社に向かいました。