伊川津貝塚 有髯土偶 71:乳岩は山だった
愛知県新城市(しんしろし)川合(かわい)の乳岩分岐(ちいわぶんき)から西に位置する乳岩登口に向かいました。
乳岩登口に向かって登って行くと、乳岩川の河床と同じような状況で、地上でも巨大な凝灰岩(ぎょうかいがん)から剥落した岩が巨石下部の庇の下に並んでいた。
ここから間もなく、乳岩と思われる巨石の麓下の登口に到達した。
そこには案内板があって、この辺りの凝灰岩には鍾乳石(しょうにゅうせき)が多く含まれるという案内があった記憶があるのだが、案内板は撮影し忘れていた。
この案内からすると、下記記事で紹介した最初に乳岩川を渡った無名橋下流の河床に存在した鍾乳石っぽく感じた岩は、やはり鍾乳石だった可能性が高いと思われた。
乳岩登口から急坂を登って行くと、痩せてはいるが、よく伸びた樹林の中に白っぽい石が立ちはだかっていた。
ただ、石の頭頂が確認できないので、大きさが確認できない。
しかも、石の高さだけではなく、横幅も確認することができず、巨石というよりは石壁のようだった。
この巨石の頭頂を観ようと石の麓に向い、麓に出て上を見上げたのだが、やはり頭頂は確認できず、尋常ではない大きさの石であることが解ってきた。
この巨石の本当に麓まで寄って、上を見上げたのだが、今度は頭頂は樹木ではなく、この巨石の麓部分の死角に入ってしまい、やはり確認はできなかった。
この麓の部分の岩質はエッジの立った部分が無く、まろやかな岩肌になっており、やはり鍾乳石の成分である炭酸カルシウムによって白っぽい色が基調になっているように見える。
この岩壁に沿って登って行くと、岩壁とは分離しているように見える巨石が左手に現れた。
この巨石(上記写真左側の石)の方は側面が剥落して時間が浅いようで、エッジはまろやかでは無く、立っている。
さらに急坂を登って行くと、やっと頭頂のような部分が見えてきたのだが、これが本当の頭頂とは思えない。
上部の陽の当たる部分は赤紫色に焼けており、麓部分の白っぽさは薄くなっている。
遊歩道に従って自然にできた石段を登って行くと、巨石の屏風の間に別け入って行くいく形になってきた。
上記左手の石壁は赤色の強い凝灰岩で、白っぽい部分は地衣類の繁殖によるもので、炭酸カルシウムによる白さではなかった。
行く手をよく見ると、手摺を持つ鉄の階段が設けられており、遊歩道は屏風の隙間を上方に向かっている。
屏風の隙間を見上げると、新たな複数の鉄製の階段が45度以上の角度で、上に向かっている(下記写真左)。
上記写真右では階段は最終的に垂直に近くなり、もはや階段ではなく、梯子になっていた。
しかもよく見ると、梯子の踏ざん(横棒)が1本破損して落ちかけている。
梯子を登って行くが、一つの梯子は10mも無く、両手で握りやすい、しっかりした支柱でできているので、登って来た下を振り返らなければ、まったく恐怖心は無かった。
ただ、梯子と梯子の間の踊り場は一人分のスペースしか無く、登って来た下を振り返ると高所恐怖症の人間は登るのは無理だと思われる。
背後からは複数人のグループが続いて来ているらしく、騒がしい。
最初の登口の階段と梯子を登り切ると、遊歩道はしばらく平坦になり、行手には人為的に石を詰めたような隙間があった。
この部分の岩はいずれも赤っぽい凝灰岩だ。
この隙間を通り抜けるための梯子が架けられていた。
(この項、続く)
◼️◼️◼️◼️
乳岩のある渓谷は「乳岩峡」と呼ばれ、天竜奥三河国定公園に含まれています。乳岩では通路に階段や梯子が設けられていますが、ここから明神山(みょうじんさん)に向かうコースにある鬼岩周辺はフリークライミングのメッカとしても知られているようです。