今朝平遺跡 縄文のビーナス 21:砂丘上の不動尊
愛知県知多郡阿久比町(あぐいちょう)熊野神社前を流れる福山川左岸(南岸)に沿って走る幹線道路は県道46号線と交差した東側はそのまま県道469号線に繋がっており、その469号線を辿って、阿久比町 熊野神社の北東920mあまりに位置する永見不動尊に向かいました。
永見不動尊に西側から接近すると、それは469号線沿いにある、ちょっとした丘陵の上に存在するようで、その丘陵の麓には対になった幟柱を持つ銅板葺素木造の小社が祀られていました(ヘッダー写真)ただし、この小社に関する情報は見当たりませんでした。
469号線の歩道から永見不動尊へ登る石段が丘陵の土手に設けられていた。
石段は30段ほどあり、人が一人通れるくらいの幅で両側の土手は潅木で覆われている。
石段の上には鳥居が見えているので、神社もあるようだ。
石段脇の土手沿いに愛車を駐めて石段を登ると、上にあったのは石造の伊勢鳥居だった。
阿久比町 熊野神社も伊勢鳥居だったが、ここ知多半島の対岸に伊勢神宮は存在するので、その影響があるのかもしれない。
石段の上は白っぽい砂地で、人為的に敷いた砂ではなく、この丘陵全体が砂地のようだ。
知多半島は、近年サントリーウイスキー「知多」のブランド名で海外にも知られるようになったが、基本的には人類が発祥する以前の時代に木曽川の運んだ土砂が左岸側に堆積してできた自然堤防なので、砂地の段丘が存在していても不思議ではない。
鳥居の奥には右手に小さな堂(地蔵堂のようだ)奥に棟入の黒い壁に木戸の付いた拝殿らしき建物が見えており、その周囲は社叢に囲われている。
鳥居をくぐって拝殿に向かうと、屋根は瓦葺で壁は水平に黒い防腐剤で染めた板が張られており、戸は少し土間を設けた奥に縁の下を設けた部屋に付いている、異色の建造物だった。
拝殿の入り口脇に立て札が立てられている。
それを読んで、驚いた。
なんと、この建物は拝殿ではなく、永見不動尊だったのだ。
そして、ここにある神社は御嶽山信仰の神社であることが解ってきた。
それで、戸に付いているガラス窓から堂中を見たところ、永見不動尊内の奥の部屋は手前の部屋に続いて6畳の畳敷きで、大小2本の桶型提灯が対になって天井から下がっていた。
大きな提灯には「不動明王」、小さな提灯には「石浜不動明王」の墨文字が入っている。
さらに奥に部屋があり、その入り口に青紫の仏前幕が張られ、閉め切られたガラス戸の窓の中央に1体、不動明王だと思われる板碑のシルエットが見える。
その像の向かって右にも何かが納められているのだが、何かは不明だ。
その2つのモノの手前には小さな鳥居が2基、横に並んでいる。
永見不動尊の左脇には土饅頭型の塚があって、瓦葺煉瓦造の堂と、赤い帽子と桃色や白の涎掛けをもらった10体の石造霊神像が塚の上に階段状に並べて奉られている。
霊神像とは功績のあった行者や御嶽講の信者の像だ。
塚の麓の中央には「御嶽神社」と刻まれた社号標。
つまりここは不動堂と御嶽神社が習合した場なのだ。
御嶽神社の祭神は以下とされている。
煉瓦造の堂内をのぞいてみると石像が2体奉られていた。
なんと、塚の麓に位置するように見えたので御嶽神社関係の堂かと思ったら、永見不動尊の隣なので、ここに設置された不動堂だったのだ。
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サントリー知多蒸溜所は知多半島の知多市北浜町に存在します。ここは伊勢湾の埋立地で、周囲は工場に囲まれた場所です。“山崎”とはえらく、環境の異なる場所です。なぜ、ここが選ばれたのか、しらべてみると、ウイスキー“知多”の主原料であるトウモロコシを積んだ船が伊勢湾に直接入って来られる場所であること(知多蒸溜所のすぐ周囲は製粉会社のサイロや食品工場に囲われている)。ここがサントリーの貯蔵庫のある滋賀県近江エイジングセラーと山梨県の白州蒸溜所の間に位置し、流通に利便性のある場所であるという、意外な理由であることが判明しました。もともと、サントリーの公式ウェブサイトを見ると、『なぜ、この場所なのか。』という項目に、サントリー創業者の鳥井信治郎が「あくまでも日本的な風土にこだわっていました。そんな強い信念で、ウイスキーづくりの理想郷を求めて日本全国を踏破し、辿り着いた地こそ、山崎でした。」という。イメージ操作をしてきたからであり、その真逆なイメージの場所こそ「知多の工場街」なんですよね。念のため言っておきますが、知多半島自体は自然の多く残った場所です。