伊川津貝塚 有髯土偶 62:顔から生まれた系譜
愛知県田原市伊川津町の伊川津貝塚と本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)を結ぶレイラインと汐川(しおかわ)をたどった後、渥美半島(田原市)の気になる場所を巡ることにしました。汐川の流域にあるのですが、汐川の両岸からわずかに外れていると判断したことからノーチェックだったものの、汐川水門で使用している時にカメラの電池が切れたために撮り残した部分を撮影するため、蔵王山から汐川水門に向かっている時に、前を通りかかったのが吉胡神明社(よしごしんめいしゃ)でした。
森の前の緩やかな下り坂を通り抜けようとすると、森の入り口に石造の伊勢鳥居と、その脇に「神明社」と刻まれた社号標が建てられているのに気づいた。
地図でチェックすると、この社頭は神明社の総本社である皇大神宮(こうたいじんぐう:伊勢神宮内宮)を向いているようだ。
この神明社は地元では町名を冠した「吉胡神明社」と呼ばれている。
愛車を社頭前の道路の路肩に駐めて、参拝していくことにした。
改めて社頭に立つと、上記写真ではちょっと判りにくいが、社号標の前の地面には正方形のコンクリート枠にコンクリート板を5枚並べて蓋をした場所があり、その正方形枠の四ツ角には青竹色の細い棒が立ててあり、それに極細の縄が張って囲ってある。
井戸だろうか。
その正方形枠の奥には百度石が保存されている。
百度石のさらに外側には頭の尖った自然石と頭の低い自然石を組み合わせたものが設置されているが、よくみると、鳥居を挟んで反対側にも対になっているように頭の尖った単独の自然石のようなものが置かれている。
鳥居の前に立つと表参道は黒い破断石をコンクリートで固めた、神社ではあまり見ない舗装がされていた。
一ノ鳥居の先に8段の石段が設けてあり、その先に二ノ鳥居が設置されている。
大きくはない鳥居には注連縄が下がっているので、頭を垂れなければくぐれないサイズの鳥居だった。
一ノ鳥居をくぐると、石段の先に二ノ鳥居として石造明神鳥居が設けてあり、そのすぐ先に4段の石段。
その石段の先にはさらに三ノ鳥居と四ノ鳥居。
両方とも石造明神鳥居だ。
四ノ鳥居の先にはさらに14段の石段。
14段の石段の上にはさらに五ノ鳥居。
五ノ鳥居の先には社殿がのぞいている。
それにしてもこの長くはない参道に5基の鳥居とは驚かされた。
大社でも境内に五ノ鳥居は見たことが無く、初めての遭遇だ。
石段も3基となっており、ここがそうした石段を必要とする傾斜地に祀られた神社であることを示している。
合計26段の石段だが、皇大神宮遥拝を意識しての立地だろうか。
2つ目の石段をあがると、目の前の2基の明神鳥居は最初の明神鳥居より柱の外側に突き出している貫(ぬき:下側の横棒)が長い。
しかしこの2基の明神鳥居は柱の傾斜が異なっている。
最後の石段を上っていくと、五ノ鳥居は石造伊勢鳥居だった。
これで、一ノ鳥居と五ノ鳥居が伊勢鳥居。
二〜四の鳥居が明神鳥居であることが分ったが、5基ともすべて、規格の異なった鳥居であることが判明した。
1社の中で伊勢鳥居と明神鳥居が混在することは通常なのだが、同じ形式の鳥居の規格が異なるのは、異なった時代に製造された鳥居であるか、異なった神社が合祀された可能性を示している。
となると、この神明社には少なくとも2社の神社が合祀されているか、最大5社の神社が合祀されていることを示している。
この神社の由緒書情報は見当たらないが、創建されたのはわずか80年ほど前で吉胡、木綿台、吉胡台の3つの集落が合同で祀っているという断片情報がネット上にあることからすると、3つの神社が合祀された結果が5基の鳥居に反映されている可能性がある。
この神明社の祭神を3種に分けることができるだろうか。
『東三河を歩こう!』ウェブサイトにある
https://www.net-plaza.org/KANKO/tahara/jinjya/jinmeisha-yoshigo/index.html
祭神情報を個人的に以下のように整理してみた。
Aの祭神は神明社に必要な母神と、その長男。
Bの祭神は父神と2柱の娘だが、この2柱の娘は通常なら三女神として祀られる女神だが、なぜか田心姫神(タゴリヒメ)が抜けている。
Cの菅原道真公は天神社に祀られる神で、天孫族を祀ったA・Bの神社とは系統が異なる。
実際、吉胡神明社に菅原道真が合祀されたという断片情報がネット上にはある。
以上のことから3社の鳥居が残された結果が5基の鳥居である可能性が高いと思われる。
五の鳥居の先は社叢が開けて明るくなっており、真正面に拝殿が位置している。
拝殿は瓦葺切妻造平入で総素木造。
正面はすべて板戸で閉め切られている。
その拝殿が高さ50cmほどの石垣の上に設置されている。
拝殿前で参拝して軒下を見上げると、銅板に「神明社」と浮き彫りされた扁額が掛かっていた。
扁額の凹部分は白くペイントされているのだが、緑青(ろくしょう)が噴き、青磁色になっている。
空きのある拝殿の左脇に廻ってみると、本殿は神明社基本の銅板葺神明造。
拝殿の裏面には瓦葺の白壁が張られている。
社殿外の境内に境内社は見えなかった。
この境内には氏子個人が自分の誕生日を記念して奉納したという使いの牛石像が置かれていたが、天神社の祀られていた地域の丑年生まれの人物が奉納したものだろうか。
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吉胡神明社の祭神は菅原道真公を別にすれば母神天照皇大神(イザナギの左目から生まれた神)と父神建速須佐之男命(イザナギの鼻から生まれた神)の間に生まれた3柱の御子神が祀られているのだが、長男の正哉吾勝勝速日天忍穂耳命の名前には「耳」が含まれている。幼児は生まれた後に母親が乳を与えれば、最初に母親の顔を認識して、その乳房を自分のものとして授乳を受けます。そして、断乳させる際には胸に「○にへのへのもへ字」を描くと、初めて自分が受けて来た乳房が自分のものではないと認識して授乳を自主的に止めます。我が家の場合は試したとことろ、当初は当惑していましたが、1度試しただけで断乳できました。ところで、天孫族には「ちち」の名を持つ神も存在します。それが栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)。吉胡神明社に祀られた正哉吾勝勝速日天忍穂耳命の結婚相手です。