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伊川津貝塚 有髯土偶 79:たち岩のW

愛知県新城市(しんしろし)豊岡の大聖寺野仏群から宇連川(うれがわ)の下流に表記のある能登瀬の「たち岩」に向かうことにしました。「たち」が何を意味するのかこの時点では不明でした。別所街道を西に向かい、国道151線に出て、さらに151線を西に向かい、151線から外れて降る県道439号線に入るとすぐ、宇連川に架かった加周橋(かしゅうばし)に差し掛かりました。

中央構造線 愛知県新城市能登瀬 加周橋/たち岩
愛知県新城市能登瀬 宇連川 (加周橋/たち岩)
新城市能登瀬 宇連川 (加周橋/たち岩)

加周橋から見下ろす宇連川の下流側河原と宇連川に沿った飯田線を見下ろせる絶景は2度やって来た奥三河では最高の景観だった。

愛知県新城市能登瀬 宇連川 加周橋 下流側眺望

加周橋を渡った県道439号線は上記写真右手の線路を越えて、北側に降り、飯田線に沿って正面に立ち上がっている山の裾の森に向かっている。
上記写真の◯部分をズ0ームUPにしてみると巨大な河原石だった。

新城市能登瀬 加周橋からの眺望 宇連川 河原石巨石

439号線を降れば、近くから見えるかと思ったが、潅木に遮られて見ることはできなかった。

さらに宇連川沿いを西に向かっていると、宇連川の少し下流の河床に傾いて立っている巨石が見えた。

新城市能登瀬 宇連川 たち岩もどき

「あれが、たち岩か」と思った。
この岩の脇の439号線は潅木が無かったので間近から観ることができた。
439号線は再び、宇連川と飯田線の間に戻って来ていた。

能登瀬 宇連川 たち岩もどき

この辺りも凝灰岩(ぎょうかいがん:新生代新第三紀堆積岩)の範囲内だ。
この立った岩は後で、たち岩ではないことが判明したので、とりあえず「たち岩もどき」と呼んでおく。
たち岩もどきの上面には生毛のようにベージュ色に枯れた雑草が生えていた。

たち岩もどきから西に向かうと、20mも行かないうちに、もう一つの巨石が宇連川の河床に立ち上がっていた。

愛知県新城市能登瀬 宇連川 たち岩

足で水面に立っているように見える。
この石は「たち岩」というイメージではないものの、頭頂に潅木が生えており、とりあえず「風流岩」と名付けた。

風流岩のすぐ下流には、ほとんど水の動きを感じさせない淵があって、水面下すれすれに上面が平らな巨石が沈んでいる。
水平に平らな面ができやすいのも凝灰岩の特徴だ。
そして、この平らな河床は板敷(いたじき)と呼ばれ、この辺りから宇連川は板敷川とも呼ばれている。

その対岸には水面の高さ部分が宇連川の水流にえぐり取られた凝灰岩の巨石が壁のように並んでいる。

新城市能登瀬 宇連川 (淵/板敷)

凝灰岩は河川などの侵食に弱いことから、こうした現象が起き、景観が風光明媚になりやすい。
その石壁も白っぽい凝灰岩やそれに暗青色が混じった凝灰岩と変化がある。

風流岩を少し下流側から見たのが下記写真だ。

能登瀬 宇連川 たち岩

さらに下流から風流岩を振り返ると、風流岩のイメージが180度変わって、四角柱の石のように見えた。

能登瀬 宇連川 (たち岩/たち岩もどき)

上流にあるたち岩もどきも一緒に見えるが、側面を439号線側から見た時よりも幅の広い石に変わっている。
四角柱に変身した風流岩を眺めていると、2台の自転車に乗った高齢の夫婦らしき二人組が目の前で止まって、四角柱の見物を始めた。
「あれがたち岩ですか?」と声を掛けると、そのようですという返事だった。
それで、風流岩が「たち岩」で、上流の立った岩が「たち岩もどき」と確定した。
「たち」は「立ち」だった。

下記写真はたち岩と左手5mほどの高さを通っている飯田線の間を通っている県道439号線を撮影したもの。
望月街道と違い、439号線は軽四輪車が2台、ギリギリすれ違える道幅の県道だった。
おそらく、この439号線は望月街道をベースに開設されたものではないだろうか。

下記写真はすぐ下流にあった養乙女橋(ようとめばし)上から、ズームUPで撮影したもの。

能登瀬 宇連川 養乙女橋上から眺望(たち岩/たち岩もどき)

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たち岩の対岸の凝灰岩に見えた暗青色の部分は熱変質でできた部分のようです。これに近い緑色・灰緑色を呈する緑色凝灰岩は中国地方の日本海側から中部・関東・東北地方に広く分布しており、新生代第三紀の大規模な海底火山活動に由来するものと考えられていて、日本列島の根幹をなす岩石の一つだとされています。扱いやすさと耐火性から戦後の昭和期に日本の石壁を代表した大谷石も凝灰岩で、日本の都市部の多くで見られたが、風化されやすいことから、今ではほとんど見られなくなっています。

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