今朝平遺跡 縄文のビーナス 58:八大龍王宮発見!!
豊田市王滝町の王滝渓谷を流れる仁王川の水面に突き出したテーブル状の巨石を見下ろせる遊歩道をさらに下流に向かいました。
この辺りから対岸に、八大龍王宮と弁財天が祀られている可能性があるので、それを意識しながら遊歩道を下った。
テーブル状の巨石の前から少し下ると、設けられた堰が破壊されて、上流側に堰が倒れている場所があった。
基本的には老朽化して、崩れたのだと思われる。
鉄砲水があった時に石でも激突したのかもしれないが、そうした石は周辺には見えず、下流側に崩れたのなら解るが、上流側に崩れている状況が想像できない。
残された方の堤を見ると、石を積んで、上流側を厚くコンクリートでたたいた構造をしているようだ。
残された堤の上面はシダで覆われている。
この破壊された堰のすぐ下流には、石に囲われたスペースであったことからできた砂州が存在した。
この脇を通り抜けると、仁王川に流れ込んでいる2本目の無名の水路があった。
この水路を渡ると、右岸の山岳部は終了し、平地に出た。
結局、対岸に祀られた八大龍王宮と弁財天は見つけることはできなかったのだが、この時はどんな状況で祀られているのか不明だったのと左岸の巨石がすごくて、右岸側からの死角も多く、見つけられなかっただけではなく、左岸側の状況もよく解らない状態だった。
水路を渡って、遊歩道を10mあまりで、巨石の上に樹木の伸びている場所に到達した。
石の上だから、巨木に育ちようはないだろうが、名跡になっているようで、王滝渓谷の絵地図などには「岩山のケヤキ」と表記されているものだ。
ケヤキが育っているのに岩が割れていないのが不思議だ。
幹の根元を見ると下記のようになっており、岩とケヤキの接着面ではケヤキの表皮が自身の重みの圧力で押し出されたように外側にハミ出そうとしている。
岩とケヤキの表面を共通して、マメシダが覆っていた。
この岩山のケヤキには白龍と結びついた伝承があるらしく、見つからなかった八大龍王宮と関係があるようだ。
岩山のケヤキの脇にはケヤキの寸法を表記した案内板があった。
ところで、このケヤキの生えている岩は梁山妙昌寺の入り口を示すものであることが解った。
岩の別の角度に「不許葷酒入山門」と刻まれていたのだ。
「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読むが、ニンニクやニラなどの臭気の強い野菜を食べる者、飲酒をする者が山門を入ることを許可しないという意味で、禅宗寺院の入り口に表示される結戒を示す言葉だ。
梁山妙昌寺は曹洞宗寺院であることはしらべてあったので、スルーした。
岩山のケヤキは遊歩道の山側に設置されていたが、その不動川側には大きくて奇妙な蕾ができていた。
調べてみるとウバユリの蕾であることが判った。
下記のような花が咲く。
「ウバ(姥)」とは瀬織津姫を表す言葉でもあるので、気になって調べてみたが、今年のNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルになったらしい(朝ドラは観ていない)牧野富太郎博士が命名した花であることが判った。
おそらく葉(歯)が無い時に花が咲くウバザクラの名称由来と共通させたのだと思われる。
歯が無くなる年齢でも、名称が花に使用されるのは、女性ならではだ。
実はウバユリも花が咲く頃には葉が落ちてしまうユリなのだ。
花を特定するために葉の写真も撮影しておいてよかった。
縁から枯れ始めており、虫にも喰われやすい植物のようだ。
本当に、花開く頃には葉が落ちそうだ。
梁山妙昌寺のもう一つの入り口である表参道前に至ると、その道は対岸にある愛車を駐めてきた龍門駐車場に渡る龍門橋から延びる道だった。
龍門橋上から上流側を見ると、曲がりくねった水路の両側には累々たる巨石が見られた。
愛車を駐めた場所に戻ってくると、その通路と仁王川の間には、やはり巨大な1枚岩が鎮座していた。
この1枚岩を分割しそうな溝ができている。
結局、目的にして王滝渓谷にやって来た弁財天と八大龍王宮は見られなかったと思っていたのだが、ネット上の画像をチェックしていたら、自分では気づかないうちに、八大龍王宮は撮影していたことが判明した。
以下の写真だ。
確かに龍神が棲んでいそうな淵ではある。
テーブル状の巨石が割れ落ちた元の石の側面に「龍王宮」の文字が刻まれているのが見えるのだが、「八大」の部分は草で覆われてしまっている。
「対岸(右岸)からの方が見つけられるかもしれない」という感は的中していたことになる。
おそらく、左岸からは文字の観られる足場は無いのではないかと思われる。
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今回は王滝渓谷の下流部分1/3しか巡っていないのに、巨石の多い場所だった。愛知県にこんな場所が存在するとは思ってもいなかったのですが、上流側2/3も巡る必要を感じさせる場所でした。