麻生田町大橋遺跡 土偶A 125:アメノコヤネと八幡神
豊橋市石巻本町で牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)に架かっている宮下橋を東に渡り、水神前を通り抜けて、そのまま東に緩やかに登っていくと、宮下橋から50mあまりの左手(北側)に石鳥居がありました。
その社頭には表道路に沿って2段の石段を持つ、広めの踊り場があり、その先にはさらに2段の石段を持つ踊り場があり、その右端には「椙本(すぎもと)八幡社」と刻まれた社号標。
宮下橋の名称は「椙本八幡社の下」の意味なのでしょう。
表参道の両側にはセットになった3mほどの高さの1対の常夜灯。
さらに2段の石段を上がると、3つ目の踊り場に南々西に向けて石造明神鳥居が設置され、その先に数十段の石段が立ち上がっている。
石段の左右の土手は杉の林立した暗い森になっており、石段の上にはニノ鳥居が見えている。
石段を登りきると、ニノ鳥居は貫(ぬき:下側の横棒)と止めるための、見たことのない反り返った楔(くさび)を持つ大輪鳥居だった。
八幡社なのに一ノ鳥居もニノ鳥居も八幡鳥居が使用されていない。
そして、ニノ鳥居の両柱を親柱として左右に玉垣が張られている。
ニノ鳥居の奥30m以内にニノ鳥居のある方向ではなく、少し南に正面を振った入母屋造瓦葺の拝殿が石垣上に設置されている。
ニノ鳥居をくぐって拝殿前まで進むと、拝殿は50cmほどの高さの石垣上に設置されていた。
拝殿の正面は全面が舞良戸(まいらど)と舞良子(まいらこ)を張った板壁で覆われている。
拝殿前に上がって参拝した。
祭神は通常の八幡社と異なり、以下となっている。
2柱とも名前に「帯(タラシ)」の名称を持つが、帯中津日子命は『古事記』での仲哀天皇の別称。
息長帯日売命は『日本書紀』での神功皇后(ジングウコウゴウ)の別称。
ふたりは夫婦の関係だ。
現在の神道では、八幡神は誉田別命(ホムダワケ=応神天皇)の神霊とされるが、ここ椙本八幡社では応神天皇の両親が祀られているというわけだ。
拝殿の裏面には1.2mほどの高さの石垣上に緋色に染められたトタン葺の回廊が設けられ、拝殿の裏面に瓦葺入母屋造妻入の幣殿(珍しい形式)と瓦葺切妻造平入の本殿覆屋が連らなっている。
拝殿前脇には『椙本八幡社の指定文化財』という案内板が立てられていた。
指定文化財は二つで、祭で使用される綱火(つなび)と戦国時代の青銅製の鰐口(わにぐち)だ。
下記写真の綱火に関しては
以下のように紹介されている。
回廊の西側には瓦葺切妻造平入の境内社覆屋が設けられており、
回廊側から以下の8社が祀られていた。
この覆屋には厳島社が含まれている。
境内社厳島社の祭神市杵島姫命は八幡神社が3神形式で祀られた際の応神天皇・比売神(ヒメガミ)・神功皇后のうちの比売神を指していることから、周辺からここに持ち込まれたものである可能性がある。
椙本八幡社の北北東80mあまりの場所からは2つの溜池が北西に向かって連なっており、そうした池に祀られていた弁財天が廃仏毀釈で比売神として祀られていたものだったのかもしれない。
回廊の東側には下記写真中央の瓦葺切妻造平入の境内社覆屋が祀られていた。
この覆屋には社名と3柱の名を墨書きした表札が取り付けられており、
非常に気になる文字を含むのだが、個人的に推測を含めて読み取れるのは以下の文字だった。
「八子(やっこ)」の名称を含む人物として、天之児屋根命(アメノコヤネ)の15代の孫として神八子命なる人物が存在していることから、「八子〓命」は「神八子命」の別名である可能性が高いと思われ、そうなると、上記表札3柱中央の神「 〓〓〓命」は天之児屋根命と神八子命の間に位置する13人の人物の誰かである可能性が考えられる。
神八子命の先代は酒人命だが、三河(岡崎)には食物の神様と酒人親王(さかとしんのう)を祀った酒人神社(さかとじんじゃ)が存在する。
酒人命は表札中央の「〓〓〓命」候補になるが、ここ椙本八幡社の西側の境内社群には「食物の神様」保食神が含まれており、椙本八幡社に酒人命と保食神が祀られているのは偶然ではないことになる。
表参道を戻り、石段上から表道路を見下ろしたのが以下の写真だ。
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椙本八幡社とは逆に大阪府箕面市の天之児屋根命神社には末社として八幡宮が祀られており、また、大阪府泉佐野市の加支多神社(かしたじんじゃ)には祭神として、誉田別命(八幡大神)・市杵島姫命・天児屋根命が祀られている。これは八幡三神のうちの神功皇后を天児屋根命に入れ替えたものであり、八幡神と天之児屋根命の間には深い関係があることが解ります。