伊川津貝塚 有髯土偶 65:大和のミクマリ
愛知県東栄町(とうえいちょう)の須佐之男神社から国道151号線にもどり、南西に向かって延びる151号線をたどっていると、左手に大きな常夜灯があるのに気付きました。須佐之男神社に向かっている時は気づかなかったものです。森の中に鳥居も見えたので、Uターンしてもどりました。ここまで須佐之男神社登り口から1.6km以内で、すでに新城市(しんしろし)に入っています。
151号線の南側に面したその神社の社頭は北向きで、都心では見られない高木の杉の重なる社叢が印象的だった。
一方で、社頭には郵便ポスト、消火栓、防火水そう表示版という鮮やかな赤色の設備があるのですが、どれも、“ケ”の世界のツールでした。
普通、社頭に設置するのは避けるツールですが、色だけは“ハレ”を演出していた。
愛車を杜の脇に入れて、社頭にもどり、アスファルト舗装の表参道に入ると、最初に目を留めた常夜灯の竿には「秋葉神社」と刻まれていた。
秋葉神社の総本社である秋葉山本宮秋葉神社は中央構造線の外帯(がいたい:中央構造線の南側)に属する神社だ。
秋葉神社はおそらく愛知県最多の神社であり、1基のみの常夜灯というのは、記念に残されたり、他神社に流用された場合があるので、まともにここの神社の社名とは信じていなかったのだが、後で調べてみると、明治時代まではこの神社は秋葉神社だったことが判った。
その常夜灯の脇を抜けると表参道に、そのほとんどを苔に覆われた石橋が設けられていた。
水路は無くなっているのだが、この石橋を渡ると周囲は一気に日常の世界からハレの世界に切り替わった。
鳥居の前に至ると、それは石造の明神鳥居であることが判った。
鳥居の左右の柱の前には左右対になった榊と思われる若木が植えられていた。
もし榊なら、ここは天孫族系の神社ということになるが、石鳥居に掛けられた石造の扁額には「池之神社」と浮き彫りされていた。
鳥居をくぐると、右手に横に長い社殿、左に銅板葺入母屋造平入の拝殿が立ち上がっていた。
横に長い社殿はネット情報で「舞台」という情報があった。
かつては農村歌舞伎が行われていたのだろうか。
左手の拝殿に向かった。
拝殿の老朽化した構造部位はリニューアルされているが、メンテナンスが不十分な感じの拝殿だ。
人口が少ない地域で企業などに勤めている人が主流になってくると、氏子も境内の草を刈るだけで精一杯になっているはずだ。
賽銭箱は無く、拝殿の階段下で参拝したが、境内に案内板も無く、後日調べてみると、『Omairi』ウェブ・サイトに以下の祭神情報などがあった。
上記2神は対になっって祀られることの多い神だ。
ともに「イザナキ×イザナミ」の子孫であり、「ハヤアキツヒコ×ハヤアキツヒメ」の子である。
「天之水分命・國之水分命」を含めて祀っている式内大社は下記地図内に記したように、すべて奈良県の内帯(ないたい:中央構造線北側)に祀られており、ここ池之神社は秋葉神社から池之神社に変更になる際、内帯側のいずれかの水分神社から勧請されたものと思われる。
一方、外帯側に祀られている1社、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は天之水分大神のみを主祭神としている。
そしてこの吉野水分神社のみ右殿に丹の道(中央構造線)の開拓支配者火折尊(ホオリ:山幸彦)の関係者を祀っている。
それが『先代旧事本紀』によると、火折尊の妻、玉依姫命(タマヨリヒメ)である。
一方、内帯側の宇太水分神社と都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)の2社は「天之水分命・國之水分命」とハヤアキツヒコを組み合わせて祀っている。
なので、池之神社とまったく同じ2柱「天之水分命・國之水分命」を祀っている神社は唯一、葛城水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)ということになる。
それでも、池之神社が葛城水分神社から灌頂されたとは限らない。
池之神社の創建は慶長元年亥年(1596)となっており、このころは秋葉神社だったのだろう。
直前に参拝して来た東栄町 須佐之男神社の記録によれば、かつては池之神社と須佐之男神社は関係が深かったようで、祭礼の期日も同一であったという。
拝殿の東脇に回ると、本殿の裏面には渡殿と銅板葺切妻造の本殿覆屋が連なっていた。
渡殿と本殿覆屋はまだ新しいようだ。
拝殿西側の舞台の方に向かうと、樹高はさほどではないものの、幹周りの大きな樹木が2本の幹を空に伸ばしていた(ヘッダー写真)。
その樹木の脇にある案内板を見に行くと、新城市の指定文化財になっている天然記念物のけやきであることが判った。
ネットで調べてみると、愛知県下最大のけやきだという。
このけやき、表皮のほとんどが苔・シダ類・ツタ類で覆われていた。
その根本には複数の石が重なっており、池場のけやきが幼木の頃には塚が組まれていたのではないかと思われた。
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池場のけやきの裏面には池がありました。この池は池之神社に所属する池のようで、おそらく池之神社の社名になっているのだと思われます。この池は中央構造線と関係のある竜が存在したようで、次の記事で紹介します。