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伊川津貝塚 有髯土偶 14:役行者結び
愛知県西尾市吉良町の天竹神社(てんじくじんじゃ)から県道41合繊と豊田一色線(とよたいっしきせん)を経由して、北々西2.3kmあまりにある川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)に向かいました。
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豊田一色線(とよたいっしきせん)から農道に入って、延々と畑地の中を通り抜けると、開けた草地にカラフルな滑り台とカラフルな鳥居のある場所に到達した。
そこには公民館と思われる建物もあり、その脇に愛車を駐めた。
そのカラフルな鳥居は南々西を向いており、社地の南の外れに設置され、かつての表参道の方を向いているようだ。
この神社の周囲は広大な畑地で、その中に祀られた神社だったようだが、現在は住宅も増えている。
しかしなぜ、このような平地に富士山の神が祀られたのか。
鳥居の向いている現在の一般道の両側に対になった幟柱立てが設置され、朱ノ鳥居が一般道脇に位置する形になっていた。
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鳥居の正面奥に拝殿が位置している。
鳥居から拝殿に至る表参道は特に参道が設けられてはいないが、その表参道の左手(西側)に公民館らしき建物。
右手(東側)に滑り台や鉄棒の遊具が設置してあり、公園として使用されているようだ。
公民館と公園の間に浅間神社は祀られている。
鳥居は瓦葺された両部鳥居で、まだ新しかった。
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鳥居の奥30m以内に背の高い拝殿が設置されている。
鳥居をくぐって、拝殿前に至ると、瓦葺切妻造平入の建物で、さっき寄ってきた天竹神社と共通したところのある拝殿だった。
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共通点は軒下部分の白壁と、それ以外の壁や戸がダークな色合いになっているところだ。
天竹神社拝殿の簡易版といった感じ。
積極的にアルミ素材が導入されている。
拝所に上がって参拝した。
この神社の記録は失われているようで、境内にもネット上にも情報が無い。
浅間神社の総本社は、かつて存在した駿河国富士郡 浅間神社、あるいは甲斐国八代郡 浅間神社とされるが、現在はそれぞれ以下の神社に比定されている。
●駿河国富士郡 浅間神社
→富士山本宮浅間大社(祭神:木花之佐久夜毘売命 富士宮市)
●甲斐国八代郡 浅間神社(候補地は以下の3社)
→浅間神社(祭神:木花之佐久夜毘売命〈浅間大神〉 笛吹市)
→浅間神社(祭神:浅間大神 南都留郡富士河口湖町)
→一宮浅間神社(祭神:木花之佐久夜毘売命 西八代郡市)
浅間神社のほとんどが浅間大神(あさまのおおかみ)を祀った富士山信仰の神社なのだが、紀記神話の神、木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメ)が当てられている。
社名の読みは「あさまじんじゃ」だったのが中世以降「せんげんじんじゃ」が用いられたとWikipediaにはあるのだが、愛知県では現在も「あさまじんじゃ」が主流であり、江戸に近いほど「せんげんじんじゃ」が主流になっているというのが個人的な印象なのだが、上記の甲斐国八代郡 浅間神社に相当するとみられる3社は江戸に近いのに、すべて「アサマ神社」である。
「アサマ」という音(おん)に関して『冨士エコツアー・サービスのガイド日記』に、寺田寅彦の説を含めた以下のような説が紹介されている。
語源には色々な説がありますが、寺田寅彦博士の説が面白い。曰く:《「古語でアサマは火山を意味したのではないか」という。日本の火山の名称には「ア行音+サ行音(浅間、阿蘇、有珠、恐、恵山、雲仙、等)」という「音の類似」が多くある。》他には:《「アサマ」はアイヌ語で「火を吹く燃える岩」の意味から名付けられた。と言う説。》また南方説で:《マレー語では、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味するので、その言葉を火山である富士山にあてたとする説。》などなどです。いずれも「浅間(アサマ)」は古来「火山」を意味したようです。それでは「アサマ」がどうして「センゲン」と呼ばれるのか? これは、“元来、浅間は「アサマ」読みだが江戸時代に「センゲン」と読みならわされたようです。「仙元」とも書いたようで、「浅間嶺」にある浅間神社も以前は「仙元神社」とか言われていたとのことです。「センゲン」と呼び始めたのは鎌倉から江戸時代にかけて、中国文化の影響が大きく、熟語をむやみに「音読み」にしたためと言われています。山や地名だけでなく、学者や芸術家などもこぞって名前は支那くさい名をつけたからでといいます。」
http://blog.fuji-eco.com/article/112823501.html
天竹神社の前に参拝した饗庭神社(あいばじんじゃ)では祭神が以下となっていた。
《主祭神》
・建速須佐之男命
《合殿》
・大山咋神
・木花久夜毘売命
合殿に大山咋神・木花久夜毘売命とあり、川口町 浅間神社と饗庭神社の間には木花久夜毘売命という共通項がある。
拝所を降りて、拝殿の左手(西側)に回ると、渡殿と本殿覆屋が連なっていた。
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いずれも瓦葺で、軒下だけ白壁、他の木部・木部に当たる部分は暗色で拝殿に倣っている。
本殿覆屋の板壁に当たる部分は拝殿と同じくアルミ素材のようだ。
とりあえず、ご挨拶を終えたので、公園部分に設置されていた石のベンチでランチ・タイムにした。
ちょうど、正午で、周辺にコンビニや食事処の無さそうな場所だったので、弁当を用意してきていたのだ。
食事を終えて、本殿覆屋の東脇に祀られた瓦葺切妻造棟入のコンクリート造の建物を観にいった。
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ここでもアルミサッシのガラス格子戸が使用されている。
コンクリートの建物内には奥にコンクリートの棚が設けられており、3棟の素木の祠が納められていた。
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中央の大きな祠には彩色された仏像。
両脇の祠の中には共に陶製の使いの狐像が納められている。
両側は周辺に祀られていた稲荷社が持ち込まれているようだ。
そして、中央の仏像をよく観ると、火炎を背負った不動明王像であることが分かった。
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ここは湧水の出るような場所でも滝のあるような地形の場所でもなく、周囲はまっ平なので、単独で祀られた不動明王ではないと思われる。
同じレイライン上で、午前中に寄ってきた青龍山 金蓮寺(こんれんじ)の不動尊と関係があって、奉られたものである可能性がある。
金蓮寺の不動尊は山裾に位置し、湧水の出やすい地形に存在している。
おそらく、かつては湧水があった場所だと思われる。
金蓮寺不動尊と浅間神社不動堂を結ぶ可能性のあるものの一つが役行者(修験道)だと思われる。
金蓮寺裏山に奉られている役行者は富士山と関係があって、伊図嶋(いずしま:伊豆半島)に島流しになった時、夜毎に富士山に登ったとする伝承があるからだ。
それにしても、天竹神社に奉られた地蔵堂といい、この地では神社に平気で仏像を奉る堂が存在する。
もともと神仏習合した存在である修験道が関係しているからかもしれない。
この日は10月の中旬のことだったので、不動堂の裏面の畑地には2m以上の高さのあるカンナが紅緋の花を満開にしていた。
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不動明王の火炎が燃え移ったように萌えている。
また、公民館の壁には以下の表示板が掲示されていた。
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標高2.8mというのは、311の津波のことを考えると非常に恐ろしい数字です。今年は411だったのに誰も「411」と騒がないのは何故でしょう?