伊川津貝塚 有髯土偶 12:穴と坂
愛知県西尾市吉良町の白山公園内に位置する「蛇穴(じゃあな)」は見つけましたが、「蛇坂(じゃざか)」の方が見つかりませんでした。蛇穴を探している時に青龍山 金蓮寺(こんれんじ)と裏山の道でつながっている饗庭神社(あいばじんじゃ)の存在に気づいたので、蛇坂を探すために饗庭神社を丘陵麓の社頭から辿ってみることにしました。饗庭神社自体は今回辿っているレイラインからは外れています。
愛車で金蓮寺の駐車場を出て、金蓮寺南側の農道を東に70m近く移動するとT字路があり、そこからなだらかな坂道を北に登っていくと、60m以内で、饗庭神社社頭の駐車スペースの前に出た。
駐車スペースの北の端に社葬に包まれた南々東を向いた石鳥居があり、そこから石段が北々西に向かって立ち上がっていた。
駐車スペースに愛車を入れて鳥居の前に立つと、鳥居は明神鳥居だった。
鳥居の右手奥に設置された社号標には「村社饗庭神社」と刻まれている。
鳥居をくぐって石段の麓に向かうと、50段以上ありそうな石段が立ち上がり、石段上に社殿が見えている。
石段を登っていくと正面に瓦葺切妻造平入の拝殿が設置されていた。
拝殿前を左手に向かうと、金蓮寺や蛇穴と繋がっている通路だ。
拝殿前に上がって参拝した。
境内に掲示されている『饗庭神社縁起』には以下のようにあった。
金蓮寺と関係がある神社かと考えたのだが、脇参道を共有しているだけで、関係は無さそうだ。
拝殿内を見ると、拝殿と本殿は繋がっていないようだった。
板書には牛頭天王を祀っているとあったが、現在の祭神に関して、『ホトカミ』ウェブサイトには以下のようにあった。
合殿の神、大山咋神と木花久夜毘売命の組み合わせは妙であり、大山祇神(オオヤマツミ)と木花久夜毘売命(コノハナサクタヒメ)なら、父娘となる。
拝殿内に張られた紫紺の神前幕には建速須佐之男命を示す木瓜紋(もっこうもん)が白抜きされていた。
木瓜紋は同じくスサノオを祀っている津島神社と同じ神紋だ。
神前幕の奥の格子戸を通して、本殿前には白い和紙の紙垂を取り付けた御幣が立てられている。
拝殿前から拝殿の東側に回ってみると、瓦葺切妻造平入で板壁を黒く染めた本殿覆屋が設置されていることが判った。
まだ新しい建物だ。
この境内には社殿の壁に標高プレートが取り付けてあった(ヘッダー写真)。
その標高は「19.0m」と表記されている。
東日本大震災の最高遡上高(陸地の斜面を駆け上がった津波の高さ)は「40.5m」だったから、この丘陵は飲み込まれてしまうが、吉良町が接しているのは三河湾内であり、ストレートに押し寄せる波ではないので、どうなるのか予測がつかない。
入り口が狭く、内側が広がっている東京湾は津波の被害に強いことが判っているが、三河湾の場合はそこまで条件が良くない。
それはともかく、蛇坂は見つけられなかった。
しかし後日、GoogleMapを見ていると、地図を最大に表示した場合、饗庭神社の鬼門方向130m以内に「蛇坂」と表示される場所のあることに気づいた。
現在の「蛇坂」には以下のように丸太で階段が組まれている。
案内板『蛇坂(じゃざか)』には以下のようにある。
「ザラザラ」という音の表現には何か意味がありそうだ。
階段途中の右手の石標には「郵便局の桜」とある。
蛇坂の上には桜の名所があるようだが、郵政の土地があるのだろうか。
ついでに周辺をストリートビューで探索していると、蛇坂下の三叉路部分に、以下の奇妙な文言の道標が立てられている場所のあることに気づいた。
その石柱にはこうあった。
この道標の西側で通路は二つに分かれていた。
右に登っていく道が殿の蛇坂道で、左に下っていく道が姫の蛇坂道で、
この三叉路で殿の蛇坂道と姫の蛇坂道が結ばれているものと解釈したが、それが確認できるような道標ではないし、そういう情報を見つけたわけでもない。
「菊理の縁結び」から、この周辺に白山神社が存在することが予測された。
地図で確認すると、下記写真の三叉路のもう一方、東に340m以内に白山神社が存在していることが判った。
それなら、「殿の蛇坂道と姫の蛇坂道が三叉路で合一し、峰(白山神社のある場所)に至ると白山神社に祀られた菊理姫命によって縁が結ばれる。」という意味だろうか。
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結局、この地に蛇穴と蛇坂が存在する由来は不明のようなのだが、となるとやはり、ここまで矢崎川左岸(東岸)で2体が奉られている役行者との関わりではないかと思われるのだが、修験道を元にした伝承は失われつつあるので、蛇穴と蛇坂に関する由来も失われてしまっのかもしれません。