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伊川津貝塚 有髯土偶 66:諏訪からやって来た

愛知県新城市(しんしろし)池場の池之神社の西側に面して竜ヶ池(りゅうがいけ)がありました。

中央構造線 愛知県新城市 (池之神社)竜ヶ池/川合 諏訪神社
愛知県新城市 池之神社 竜ヶ池

池之神社境内の西端に幹を伸ばす池場のけやきの脇からは池が見え、初めてここに池があることに気づいた。

愛知県新城市池場 池之神社 竜ヶ池

この池はやって来た国道151号線のカーブ脇にあるため、カーブでは脇見のできないモーターサイクルでは気づきにくく、登り下りとも走行中にはその存在に気付いていなかった。
上記写真奥の白いガードレールが151号線。

この竜ヶ池に関しては「竜ヶ池」という民話があるようだ。
しかし、現場にもネット上にも詳細な情報は無く、以下のような簡単な情報が紹介されている。

池の主である竜が人間に姿を変え、土地の娘と恋に落ちたが、その正体が竜であることを知られたため、諏訪湖に去った。

民話「竜ヶ池」

しかし、この短い情報の中には重要な要素が含まれている。
竜の去った諏訪湖というのは竜ヶ池の南側を通っている中央構造線の東の終着点となっている場所だということです。
つまり、「竜ヶ池」とは竜ヶ池の主のルーツは諏訪湖にあることを知らせる民話だということだ。

以下の写真は社頭の石橋下を流れていた流路が残っている竜ヶ池。

新城市池場 池之神社 竜ヶ池/流路跡

下記写真池の左手の建物が舞台。

池場 池之神社 竜ヶ池/舞台
池之神社 竜ヶ池


中央構造線 愛知県新城市 (池之神社)竜ヶ池/乳岩/川合 諏訪神社

地図上で竜ヶ池のほぼ西、3.1kmあまりの場所に「乳岩」という、気になる岩が存在するので、そこに向かうため、151号線を南西に向かった。
151号線を4.5km以内で分岐道の入り口に「鳳莱湖・乳岩」の表示板があったので、そこから川合(かわい)の住宅街に入ったのだが、その道が旧別所街道であることは後で知った。
旧別所街道の乳岩の真南にあたる場所から北に向かう道に入り、走行していると右手の細い路地の奥に鳥居があるのが目に入ったので、寄っていくことにした。
それは地図によれば諏訪神社であり、鳥居は諏訪大社の大鳥居に形式を合わせたものだった。

愛知県新城市川合 諏訪神社 社頭
中央構造線 愛知県新城市 (池之神社)竜ヶ池/川合 諏訪神社
糸魚川静岡構造線 諏訪大社/諏訪湖

「竜ヶ池」民話、諏訪神社と諏訪を結ぶものは中央構造線だった。
そして、現在では諏訪は中央構造線の東の終着点とされている。
鳥居脇の草原に愛車を突っ込んで鳥居の前に立つと、背後から読経が聞こえて来た。
鳥居前の路地を挟んで智蔵禅院という禅寺があり、朝のお務めが行われているようだった。
石鳥居の前に立つと、コンクリートでたたかれた表参道が真っ直ぐ北に延び、20mほど先に二ノ鳥居、その先に拝殿らしき社殿が見えている。

一ノ鳥居をくぐって、二ノ鳥居前に至ると、それは石造明神鳥居で、鳥居の両柱前には榊と思われる枝が丸ごと花立に生けられていた。
そしてこの鳥居には注連縄が掛かっている。

新城市川合 諏訪神社 二ノ鳥居

天神・地祇の文化が混交している感じだ。

二ノ鳥居をくぐると、30mほど先に瓦葺入母屋造平入の拝殿が高さ1.2mほどの石垣上に設置されていた。

川合 諏訪神社 拝殿

拝殿の向拝の両柱にも二ノ鳥居と同じように榊と思われる枝が生けられ、注連縄が掛かっている。
拝殿前の石段下で参拝したが、この神社に関しては境内にもネット上にも祭神が建御名方命(タケミナカタ)であることしか情報が見当たらなかった。
建御名方命は『日本書紀』には登場しない神で、登場する書物では以下のように父親が異なっている。

   『古事記』大国主神の子
『先代旧事本紀』大己貴神(大国主)の子
『ホツマツタヱ』オホナムチの子

国津神である建御名方命の、もっとも有名なエピソードは天津神のタケミカヅチと力比べして敗れる国譲り神話だ。
この戦った二人の名が以下のように半分Wっているのが気になる。

タケミナカタ
タケミカヅチ

オウスが倒したクマソタケルから名前を譲られてヤマトタケルを名乗るようになったように、天津神が名前を譲られた例があるのだが、上記ふたりの間には前を譲られた記述は存在しない。

拝殿前から拝殿の東側に廻ると、拝殿の裏面には渡殿と本殿覆屋が連なっていた。

川合 諏訪神社 拝殿〜本殿覆屋

拝殿の西側に廻ると実に10社を収めた連棟社が胸の高さに河原石を積んだ石垣上に設置されていた。

川合 諏訪神社 境内連棟社

その石垣の麓には拝石の役割をする長い1枚板が設けられている。
この連棟社の両側には「秋葉山」の文字の入った常夜灯が設置されているので、秋葉神社が含まれているのだろう。

(この項続く)

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この神社で個人的に面白かったのは、連棟社内に収められている祠と不明の神でした。それを次の記事で紹介します。

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