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今朝平遺跡 縄文のビーナス 57:二枚舌の巨石と中空に浮かんだテーブル石

豊田市王滝町の王滝渓谷を流れる仁王川の右岸の遊歩道脇にあっ巨石群の前を通り抜け、さらに遊歩道を下りました。

愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷
愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷 遊歩道/休息所

ここまで、遭遇したもっとも大きな石は「立石」と名付けた巨石だったが、

それより大きな石が壁のように仁王山裾の土手に横たわっていた。

愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷 右岸 仁王山 遊歩道 巨石

下部は地面に埋まっているので、実際には見た目より大きいから、かなりの巨石だ。
武節花崗岩と思われるこの石は側面(上記写真中央部)に舌のような形態の2枚の石が重なって垂れていた。
火山の噴火で上昇してきたマグマが地下深くで、まだ流動していた形のままゆっくり冷えて石化し、その後に地表に浮かび上がってきたものだと思われれるが、ここまで見事に垂れている石は初めて目にした。

この2枚舌を出している巨石の脇を通り抜けると、複数の樹木を背に乗せた扁平な2基の巨石が折り重なっていた。

王滝町 王滝渓谷 不動山 遊歩道 2基の巨石

両方の石とも、土がしっかり乗っているのだが、その厚さは10cmほどしかない。
その上で幹を伸ばしている樹木は上記写真左側の石の一番手前の樹木のように樹皮が干からびたようにひび割れ、水分不足の状況で育った形態をしている。
その奥の麓から二股に分かれた樹木は石の奥の地面にまで根を伸ばしているようで、健康な(?)状態だ。
奥側の扁平巨石の上に伸びている樹木はどれも痩せている。
手前の扁平巨石より日当たりが悪い場所のようだ。

上記の扁平ツイン石の前を抜けると、遊歩道は段鼻(木造の横木)を持つコンクリートたたきの下りになっていたが、降り始める左手には巨石が2基並んでおり、手前の低い石の尾根には賽の河原のように石積みがされていた。

王滝町 王滝渓谷 不動山 遊歩道 巨石 石積み

賽(さい)の河原に石を積む風俗は、親に先立った子供が石積みの作業を行うことになっている。
その目的は親に先立って亡くなったたことで親不孝の報い受けるためだとされている。
しかも、その子供がせっかく積んだ石は完成する前に鬼が来て崩し、石積みを繰り返しても永遠に完成することはないという踏んだり蹴ったりの酷い話になっている。
親より先に死亡した上に永遠に鬼に虐められるとは。
ただ、最後には地蔵菩薩によって救われることになっているので、一般に仏教に由来するものといわれている。
だから、不動山に石積みがあるのは、山名の影響もあると思われるが、不動尊と石積みは無関係だ。
「賽の河原」の「賽」は「賽ノ神」にも通じており、仏教的な根拠は無いようで、地蔵菩薩の手柄になっているのは、地蔵菩薩が現世とあの世の間を行き来できるキャラクターだから利用されたのだろう。
賽の河原としては青森の恐山がよく知られているが、京都の佐比の河原に由来している場所だという。
京都となると、秦氏、あるいは鴨氏が持ち込んだ風俗かもしれない。
佐比の河原は鴨川と桂川の合流点に存在し、境(合流点)に祀られる賽ノ神が祀られていても不思議ではない場所だ。
不動山の遊歩道脇に石積みがあるのは、人間には犬と同じく、自分の痕跡を残したがる傾向があるから、「私、ココに来ました」というマーキング行動の一つなのだろう。

石積みのある巨石の前を通り過ぎて、階段を降りていくと、もっとも下の段の前に河原石を縁石として並べた幅30cmもない水路が設けられていた。

王滝町 王滝渓谷 不動山 遊歩道 水路

水路に水は流れていなかったが、水路はもちろん、水路脇の遊歩道や周辺の土は雨上がりの後のように、かなり湿っていた。
水路の水の出口と思われる場所は階段脇にあるのだが、その穴からは角ばった石が頭を出していた。

王滝町 王滝渓谷 不動山 水路出口

推測だが、この穴はここまでパイプが敷かれているのだと思われる。
そして、何らかの事情でパイプの出口に石が突っ込まれたようだ。
完全にパイプを塞ぐのが目的で土砂を詰めて、その土砂が流れ出ないように石で栓をしたのかもしれない。
実際には水が流れていないので、降雨があった場合にどんな状況になるのかは不明だ。

上記のような謎の水路から遊歩道を少し下ると、遊歩道から脇に分岐する道があり、その角に「◀︎不動山展望台 330m」の標識が建てられていた。王滝町 王滝渓谷 不動山 不動山展望台道標

王滝町 王滝渓谷 不動山 不動山展望台道標

不動山展望台の位置を調べてみると、さっきオオジョロウグモと遭遇した場所に近い場所のようだ。

https://note.com/38rashi/n/naa6c85a89c7f

引き返さずにもう少し登れば、不動山展望台に出られたのかもしれない。
つまり、仁王川縁から不動山展望台に向かう分岐点は2ヶ所に存在するのかもしれないのだ。

不動山展望台道標から、さらに遊歩道を下ると、仁王川に合流する水路があった。
ただ、その水路には水はまったく流れておらず、川床には石が溜まっていたが、それらは砂に埋まっていた。

王滝町 王滝渓谷 仁王川支流 石橋

対岸には巨石があったが、その石とこちら岸の間には短い石橋のようなものが渡されていた。
水路に水は無かったが、水路の周辺は、すべてが湿っている。
この辺りの不動山には副水流があるようだ。
そして、この辺りは体感していたより暗かったようで、このあたりで撮影した写真のほとんどが手ブレしていた。

石橋の架かった上流側を見てみると、石や土を積んで人為的に築造されたものではないかと思える堤になっていて、水路には素木の橋が架かっていた。

王滝町 王滝渓谷 無名水路/堤防/橋

それにしても、堤は本当に雨後のように土も石も植物も湿っている。

無名水路を渡って仁王川を見下ろしながら遊歩道を下った。
仁王川はこちら側の右岸からは角の無い巨石が、向こう側の左岸からは剥離して角の尖った石が川床に落ちており、その隙間を水が静かに流れていた。

王滝町 王滝渓谷 仁王川 巨石群

すべての石の表面には苔が生していたが、乾燥している。

上記写真のすぐ下流側は向こう岸の巨石から剥離したテーブル状の巨石が川面に落ちていた。

王滝町 王滝渓谷 不動山 巨石群

ただ、先に川床に落ちていた複数の石の上に乗ったらしく、水面には着水していない状態で、中空に浮かんだテーブル状になっていた。
こちら岸から突き出ている石もあり、そこからテーブル状の巨石に向かって、リスクを犯してジャンプすれば、向こう岸に渡れそうな場所だ。
仁王川はテーブル状の巨石の下流側から傾斜があるらしく、白波をあげている部分が現れた。

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『愛知県豊田市旧下山村に分布する武節花崗岩の変形作用』(名古屋地学 73号,19 – 26ページ 2011年3月 伊藤友規・三宅 明)には以下の記述があります。「愛知県豊田市旧下山村には領家変成岩類および領家花崗岩類が分布している。この地域で見られる領家花崗岩類は,神原トーナル岩,伊奈川花崗岩,武節花崗岩であり,相互の貫入関係 からこの順番で貫入したことが明らかにされている。」旧下山村とは現在の岡崎市の北部と豊田市南東部に該当する場所です。

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