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【短編】甘いコロッケとあの日の父を
誰でもない誰かの話
頭がガンガンするような、そんな音がずっと流れている。機械の声に金属の流れていく音。
「また、いるの?ちーくん。」
お父さんの横に座る僕にガラガラ声のモジャモジャ頭のおばちゃんが話しかけてくる。
「杉山さん、ダメだよ、こどもー。」
「ん?あー、そいつは…そう見えて大人なんだー。」
「バカ言ってら!」
おばちゃんは、銀色の玉を鷲掴みにして、台に吸い込ませていく。1円玉をハンドルに噛ませて、ずっと握ってなくても機械が動くようにする。
「ちーくん、あの球があそこに入ると数字が回る。青い数字が揃ったら確変。知ってる?」
「ばばあ!教えんな!」
お父さんがおばちゃんに怒鳴りつけるのを黙って見ていた。
「教育だろ?きょういく!違うか?」
「一応預かりモンだから、変なこと吹き込んじゃいけねーんだよ!」
「こんなとこ連れてきてるやつが言うな。」
おばちゃんは、丸い日の丸の書いた箱からタバコを一本取り出して、火をつける。白い煙を吐いてニヤッと笑う。
「リーチ!当たりだ、こいつは!悪いね杉山さん。」
「うるせーよ!」
お父さんは、ビスケットを齧る。僕にも欲しいのだけど、もらえない。
「見ろ!スーパーリーチだ!!」
台が光って、映像が賑やかで。
「大当たり!!」
おばちゃんがはしゃぎながら、タバコを吸った。
お父さんは川にかかる橋を僕の手を繋いでトボトボ歩く。歩くたびに、揚げものの匂いが濃くなった。
「ちひろ、コロッケ買おうか。」
「うん。」
お父さんはポケットから小銭をじゃらと出して
「何コロッケが良い?」って。
「お芋。甘いの。」って、僕が言うと、良いよってにっこりする。さっきまでのうるさいジャラジャラの前とは違う顔で。
こっちのお父さんの方が好きだ。
お肉屋さんは、道路に面していて、揚げたてのコロッケはバットに並んでいた。狐色のツヤがあって、うんと美味しそうだった。
「男爵…カニクリーム、さつまいも。」
そう言って3つコロッケを買う。
「お母さん、夜には来るからな。」
お父さんのアパートまでコロッケのいい匂いを嗅ぎながら歩く。
「ちひろ、秋にはお父さん引っ越すから。そしたらもう会えない。元気にしてろよ。」
会えないって言う言葉だけはっきりわかった。
「なんで?」
「ん?遠くに行くから…。」
「いや!お父さん好き。お父さんに会いたい!」
「ちひろ、お父さんも、ちひろ好きだよ。でも、もう会えないんだ。」
その日食べたコロッケの味は今でも覚えている。甘いのにしょっぱい。僕は、お父さんにもう会えない寂しさでずっと泣いていた。
今となっては決していい父親ではなかったことがわかる。
日曜日の昼下がり、アイコスを吸いながらパチンコの台に向かう。パチンコなんか、好きじゃないし、負けっぱなしでやる意味を見出せない。
なんでここにいるのか。社会人になった僕があの日の父と同じ気持ちになるようなそんなシチュエーションに自分をおいて、実の父親をロクでもない人と位置付けるには丁度いいと思ったからだ。
ビスケットは景品の一つだった。マリービスケットが景品の中に紛れ込んでいるのが交換所で分かったのだ。
あの”ばばあ”に会えれば父がどこにいるのかわかるんだろうか。いや、”ばばあ”も今や生きている保証はないだろう。
今更、探し出したところで何を伝えたいんだろう。
記憶にある道を歩く。ここには父はもういないと知りながら。コロッケの匂いは変わらず昔と同じまま。
「あぶねーな!!バカヤロウ!」
橋を降りた瞬間、怒号が響いた。スクーターと通行人がぶつかったようだった。怒られているのは通行人の方で、中年で痩せこけた男性だった。顔色が悪く、息が荒く苦しそうだった。
スクーターに乗っていた人が、男性を蹴り上げそうだったから
「杉山さん!」
全然、当てずっぽうで名前を呼んでみた。どちらも僕を見て、男性は蹴られずにすんだ。
「覚えてませんか?行きましょう」
男性の腕を掴んでその場を離れた。
「大丈夫ですか?」
公園のベンチに男性を座らせた。
男性は、僕の顔をまじまじと見て、
「さっき、杉山って…。」
と僕に聞いた。
「…正直、当てずっぽうで。ていうか、僕の父が昔この近くに住んでいて。杉山って言うんです。」
「…そう。」
僕の顔をじっくり見てから男性は俯いた。
「ていうか、体、どこか悪いんですか?」
「え。」
「顔色が良くないから。」
「…がん。もう治らない。」
「へえ。不運ですね。スクーターにもぶつかって」
「スクーターがぶつかってきたんだよ。俺じゃねえ」
「怪我は?」
「擦りむいたぐらい…。」
ポケットから絆創膏を出して渡す。
「使ってください」
僕の父は、僕がいつ転んでもいいように絆創膏を持ち歩いていた。僕はいつしかそれを真似するようになって、ポケットにいつも絆創膏を入れていた。
「探してるの?杉山さんのこと。」
「いえ、そういうわけでは。父はこの街にはいません。遠くに引っ越したので。」
「じゃ、なんでこの街に?」
「…たまたま足が向いて。」
「そうか。」
「はい。」
「カットバン、俺も持ってる。」
男性はポケットから絆創膏を出してにっと笑った。僕はそれを見て少し懐かしく思えた。
「子どもの顔、忘れるんじゃなくて、わからなくなるんだよな。成長するから。子どもなんてしばらく会わなかったらもうわからないよな。向こうだってこっちの顔なんか解りゃしない。」
「あの、お子さんがいらっしゃるんですか?」
「…へへ。ずっと昔のこと。でも、多分、君ぐらいになってる。」
「…そうですか。」
その子の名前…って聞こうと思ったけど、この街にお父さんが変わらず住んでいるなら、あの時のお父さんが嘘をついたことになると思って聞くのをやめた。それに、この人がお父さんなら、これから看病しなくてはいけないようなそんな気分になるだろうし。
「がん。入院しないんですか?」
「退院したとこ。どうせなら、好きなとこで死のうかなって。」
「それは…とても迷惑な話ですね。」
「おいおい。」
「よく、自宅で家族に看取られながらって、聞きますが、動けなくなった病人の面倒を最期の最後まで見るなんてトラウマですよね。」
「…そんなこと言うか?末期がん患者だぞ?俺。」
「いやだからこそ、いきなり自宅で発作起こされても、結局、救急車呼ぶしかないですし。」
「…君が息子じゃなくてよかったと心から思うよ。」
「あなたの息子さんがお気の毒です。」
「てか、心配すんなよ。うちなんか誰もいねーよ。」
「じゃあ、なんのために。」
「君に話す必要ある?」
男性はそう言いながら、くくって笑って、立ち上がった。きっと、もう会うこともない。さようならをすれば会わなかったのと同じだ。
「ありがとな。ちひろ。」
「え。」
「俺の息子、千尋っていうんだ。当てずっぽうで…呼んでみたくなってよ。違うだろ。聞き流せよ。」
違わない。僕は千尋だ。
「あの。」
「てか、君、パチンコ屋の匂いするからさ。やめなよ、当たりもしないだろ。」
「…はい。」
「下手くそなんだろ?ああいうのは。」
なぜか、呼べなくて。お父さんて呼びたいのに、呼べなくて。
「俺も負けっぱなしだったのに…やめらんなかったな。借金できるまでやったわ。やるもんじゃねえよ。遊びでとめらんねーやつは。当たっても交換できるのはせいぜいビスケットくらいだったな。連れてったガキに食わせりゃよかったなって、今になって思う。」
「ビスケット、なんであげなかったんですか。お子さんに。」
あの時、お父さんだけが、ビスケットを食べているのを見て、意地悪だと思った。
「たしか…アイツの歯科検診が次の日だったから。元嫁に、絶対にお菓子食わせるなって言われてたんだ。」
「そうなんですか。」
たしかに母は、健診には敏感だった。自分の子どもの育て方を他人にとやかく言われたくないタイプで、小学生の頃、僕が歯科検診で、むし歯があったことに激しくショックを受け、次の日会社を休んでまで僕を歯科医院へ連れて行ったのだ。
「なあ、そこの肉屋のコロッケ、美味いんだけど。一緒に食わないか。何食う?」
「…お芋。甘いの。」
あの日と同じ言い方をしてみた。最後に会ったあの日と同じ顔が目の前にある。
「さつまいも、今日はあるかな…。」
僕の中で父であると確定した。
「僕が買って来ます。ここで待っていてください。男爵とカニクリームですよね?」
「…ありがとう。」
肉屋でコロッケを3つ買う。全部で270円。小銭をじゃらっと出してコロッケを受け取った。
公園で待つ父にコロッケを差し出すと僕にお金を渡してから頂きますと言って嬉しそうに頬張り始めた。僕もサツマイモコロッケを食べる。
ホクホクのサツマイモに、とろけるチーズ。子どもの僕は贅沢なものを食べていたんだ。
「うまい?」
「はい。」
「うまいよな。」
「はい。」
僕の目には涙が溢れていた。なぜ、父親であると言ってくれないんだろう。病気だからだろうか。なぜ、引っ越すなど嘘をついたのだろう。僕から離れる理由はなんだったんだろうか。
「いつでも、コロッケは変わんないから。食いたくなっなら食いにこいよな。」
そんなことを言いながら男爵コロッケをペロリと食べてしまった。
「人生、最後のご馳走が君と一緒で良かった。」
「まだ…残ってますよ、カニクリーム。」
「食べるよ。家で。君の顔思い出しながら。」
「勝手に思い出にしないでください。食べるならここで。僕と一緒にたべてくださいよ。」
「…いっぺんに2個はきもちわるくなっちゃうんだよな。」
ため息を一つ。父は父で僕に迷惑をかけないようにしているんだろう。
「作った借金は返せたんですか。」
「…返したよ。」
「僕もパチンコにはもう行きません。ロクでもないですから。」
「…懸命だな。」
男性と別れて帰り道、もう一度、肉屋に寄って、
カニクリームコロッケを2個買い、一人暮らしのアパートへ戻った。
「お帰り。」
「ただいま。」
来ていたのは彼女で彼女とはもうすぐ結婚する。彼女の顔を見て気づく。もしかして、僕はこの結婚の話を父に言いたかったんじゃないかって。
だから、探していたんじゃないかって。
「何持ってるの?」
「カニクリームコロッケ。一緒に食べようよ。」
「え、嬉しい。」
夕食になったコロッケは、ちゃっかりキャベツが添えられてサイドメニューの装いになっていた。