【短編】たったそれだけ【創作大賞応募作品】
誰でもない誰かの話
ありえないとか、信じられないとか
そんな言葉を並べられても
この現実はどうしようもなかった。
車がいきなり家に突っ込んできて、
窓のそばにいた楓が死んだ。
楓は俺の娘で、
車を突っ込んだのは隣の家の爺さんだった。
俺はその時どこにいたんだっけ。
ああ、台所だ。
ミルクがほしいって泣いてる楓に
ミルクを作っていた。
2人目ができて妻は検診に行っていて
病院から帰ってきて一部始終を知って
俺に
ありえないって言ったんだ。
おぶったり、抱っこしたりしながら
ミルク作ればよかったのにって。
自分だけ助かるなんて信じられないって。
隣の爺さんは認知症で、
車なんか運転しちゃいけなかったし、
うちにブロック塀がなかったのもよくなかった。
それが去年の出来事。
家は直ったけど、
俺の家族はバラバラに壊れたままだった。
昨日の夜、隣の家に救急車が来た。
近所の人の話では、
爺さんが、階段で足を滑らせて
頭を打ったらしい。
わざわざ外に出なくても
話し声なんか聞こえてくる。
その後、どうなったか気になっていて
朝になって隣の家が、
静かに慌ただしい空気を漂わせているのが
朝、ゴミを捨てるために外に出て
なんとなくわかった。
たまたま、帰ってきた妻が、
隣の爺さんが亡くなったことを耳にして
俺に教えてくれた。
俺は小さい時からこの家に住んでいる。
両親が交通事故で死んでしまって、
母の祖母の家に来た。
祖父は、病気で母が高校生くらいの時に
亡くなっている。
隣の爺さんと、
うちのばあちゃんは仲が良かった。
うちのばあちゃんが死んで、
隣の爺さんはたくさん香典をくれた。
自分にも奥さんがいるのにも関わらず。
だから、いつか隣の爺さんが死んだら
香典をたくさんあげようと思っていた。
大事な楓を奪った爺さんになる前までは。
うちに車を突っ込んだ時、
爺さんはアクセルと
ブレーキを踏み間違えた
それだけのことだった。
俺は地方裁判所の傍聴席でそれを聞いていた。
執行猶予付きの懲役で、
すぐに刑務所に入ることにはならなかった。
妻は、納得がいかないと言ったが、
もう一度裁判にはならなかった。
「お通夜、いつなんだろう…。」
俺の口から出た言葉に妻の顔が強張った。
「いつだって良いじゃない!関係ない!」
必要以上に声を荒げて、
俺に、そばにあった
テレビのリモコンを投げつけてきた。
リモコンは、俺の額に当たって
電池が飛び出した。
額を触ると血が出ているのがわかる。
ああ、俺、ちゃんと生きてる。
そのまま、怒りの言葉を並べて
なんて名前をつけたかもわからない
子供を連れてうちから出て行ってしまった。
妻とはもうすぐ離婚する。
楓が死んだことは確かに悲しかった。
生まれて初めてできた自分の子供は
世界一かわいかったんだ。
でも、俺は押し付けられた育児に
頭が狂いそうだった。
何をしても泣く赤ちゃんという物体に
正直まいっていて
ミルクを作る時くらいは解放されたかった。
日の当たる窓のそば、
外を見せておけば少しはご機嫌だった。
だから、泣き止んで欲しくて、
そこに寝かせていたんだ。
ごめんって、何度も思ったし、
代わりに俺が死ねばよかったって
何度も声に出した。
でも、現実は、
楓が死んで俺が生きている。
隣の爺さんは言ったんだ。
人の命を守ることができない奴は運転なんか
しちゃいけないって。
それは、俺が交通事故で両親を失ったから。
その爺さんが楓を殺してしまった。
だけど、楓が死んだ瞬間、俺は、
もう泣き声を聞かなくて
良いんだって思ったんだ。
俺は楓を失ったことより
そっちの方が怖くて仕方がなかった。
楓の葬儀に隣の爺さんは
たくさんの香典を持って参列を願ったが
妻はそれを許さなかった。
顔も見たくないと
文字通り塩を撒いて追い払った。
俺はそれを見ながら
そこまでしなくてもって思ったんだ。
「しゅうくんは、将来優しい大人になりなさい」
隣の爺さんは、そんなことを言いながら、
俺にお菓子とかお年玉とかをくれた。
確かに爺さんは優しい大人だった。
両親のいない俺が地域で浮かないように
自治会の運動会とか積極的に混ぜてくれたし、
交通安全の推進委員だったりしたから
通学路にも立っていて
子供たちにも好かれていた。
うちのばあちゃんが死んだ日
これから1人になる俺を励ましてくれた。
いつでもなんでも
相談して構わないと言ってくれた。
だから、事故を起こした日、
荒いやり方で、
幼児虐待をしかねなかった俺を
助けてくれたのかもしれないって
恨みを取り払うために思い込んでみた。
だけど、その思考には無理があって
やっぱり普通に1番悪いのは爺さんだって
結論しか出せなかった。
隣の家の玄関に
通夜と告別式の日程が貼られていた。
「どうせ、誰も来ないって」
中から声が聞こえて来た。
「交通安全推進委員が
事故起こしてさ、うちら親戚
どんだけ恥かいたか。」
晩年の爺さんは
親戚がいようとも一人で暮らしていた。
奥さんが先に死んだから。
認知症だったって誰も知らなかったのかな。
俺もあまり遊びにいけなくて
会うのは朝のゴミ捨てくらいだった。
俺の家族は増えたけど
爺さんの家族は、そばから離れてしまったんだ。
それに気づいてあげられたら
もう少し違かったのかもしれない。
早めに運転をやめてもらえて、
楓も死ななかったかもしれない。
俺は自分のことで頭がいっぱいで
小さい頃に優しくしてくれた
爺さんのこと考えてあげられなかった。
お通夜、喪服を着て参列した。
直会にも参加して、
親戚の代表の人に挨拶をした。
「これ、お爺さんにあげてください。」
楓を抱いた爺さんの写真。
天国で遊んであげてよって、
たった一人の楓をお願いしたくて
爺さんに託したんだ。
俺がお通夜に持って行った気持ちは
たったそれだけだったんだ。
#短編小説 #小説 #近所付き合い
#遺族 #交通事故 #悲しくてやりきれない
#コトリンゴ