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私感:呉市の「クレ」は災害地名ではないのか

4年半ほど広島県呉市に住んでいたことがある。もう10年以上前のことになってしまった。

引っ越して比較的早い段階で、地元図書館を訪れた。地名辞典が見たかったのだ。自分が住む街の地名の由来は知っておきたい。民俗学徒としては当然だと思う。

呉という地名の由来は諸説あるらしい。

呉市の名の由来に関するお問い合わせですが、いくつか由来説があり、その中の一つに、その昔、灰ヶ峰をはじめとする呉一帯をつつむ連峰を「九嶺(きゅうれい)」と呼び、それがなまって「くれ」になったという説があります。
この「九嶺」というのは、「日佐子山(ひさごやま)」、「八咫鳥山(やたがらすやま)」、「尾島山(おじまやま)」、「石槌山(いしづちやま)」、「大迫山(おおさこやま)」、「傘松山(かさまつやま)」、「大根山(おおねやま)」、「向尾山(むこおおやま)」、「灰ヶ峰(はいがみね)」のことです。

このほかにも、その昔、灰ヶ峰の中腹から伐りだした、建築や舟用の板材のくれ(榑)が特産品として販売されていて、それが有名になったため時代と共に「くれ」になったという説や、呉周辺に住んでいた古代朝鮮半島からの渡来人を「くれ人」と呼んでいて、それが「くれ」になったという説などもあります。

以上は「くれナビ なんでも質問箱」へ寄せられた質問への呉市観光振興課の回答だ。地名辞典にも「九嶺」説が最初に書かれていたと思う。

これらの説に全く納得がいかないのだ。

クレ、とは何だろう。それを思い出しては考えて、ある日、ふと気づいた。

広島には土砂災害警戒地域に指定されているところがやたら多い。呉もとにかく多い。特に急傾斜地と土石流だ。

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呉の市街地は、中心部を二級河川の二河川と堺川が流れ瀬戸内海にそそぎ、周囲は「九嶺」たる山と島々に囲まれている。そして、市街地と山がとても近く、海軍で栄えたものの広い土地のない天然の要塞は、家々が山肌を這うように上へと続いていた。

「クレ」とは「くれる」なのではないだろうか。そう思った。漢字で書くと「刳れる」、えぐれる、とも読む。

つまり、呉って災害地名なんじゃないのか?

そう考えて約10年が経過した2年前、西日本豪雨が呉の街を襲った。呉の市街地はそれほどの被害ではなかったようだが、広島市内へ行く時によく通った坂町や海田町や熊野町が凄まじい被害に遭っていた。

私が住んでいたのは、呉市の広という地区だった。これも災害地名だと思う。地区を流れる二級河川の黒瀬川が氾濫し、土砂が広がって出来た土地。そういうことだろう。

元は入り江で、広々とした干潟だとか広々とした海だとかが由来という説もあるそうだが、多分違うと思う。災害地名について書かれた書籍も最近は出ているから、見てみるといい。「ヒロ」は河川の氾濫や潮害があった所を示す地名の典型だ。

名は体を表す。人名より地名の方が然りだろう。勿論、最近付けられたものではなく、戦前の古い地名だ。

知れば備えられる。だから知ることは大事なのだ。自分が住む土地の来歴くらい、知っておいて損はない。

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