言葉の船を漕げる人になる。
日ごろ生活していると、相手になんと言葉をかければいいのか分からない場面が、多々ある。
たとえば、「相手を励ますときの言葉」がそのうちの1つだ。共感するところがある人もいるかもしれないが、わたしは「自分と立場や境遇の異なる人」にかける言葉を見つけることが、けっこう苦手だ。わたしはその人とおなじ状況に置かれたことがないから、まるでその人の気持ちを知っているかのような顔をして言葉をかけることなんてできない。なにも言葉が見つからないとき、わたしは慎重になるあまりに「黙って」しまうことが多い。そんなわたしでも大人になってからは、自分の相手のことを想う素直なきもちを、すこしずつだけれど伝えることを心掛けている。「伝わったらいいな」と、自分のなかで静かに念じながら。
「ときには黙ることも必要だよ」なんてセリフを、耳にすることがある。たしかに、何も言えなくてもただ黙って寄り添っているだけで、相手の心の支えになることだってある。他人のことを完全に「わかる」ことなんて不可能だ。そういう選択肢が最善策になる状況は、生活のうちにはきっとあるだろう。
けれども、そうじゃないこともある。たとえば、自分と相手の間に、一本の川が流れている状況を思い描いてみてほしい。もしもその対岸にいる相手が、川のなかで溺れそうで、もがき苦しんでいる状況に遭遇したら。そのときわたしが、その人を救助できる方法を知らないがために、溺れた姿をじっと眺めていることしかできなかったとしたら。それは、最善策といえるのだろうか?もしも、わたしが相手の元へと「助け船」を出す方法を知っていたとしたら、わたしはその人のことを救うことができたかもしれないのに。
「黙る」という行為は、ときに相手への「暴力」となり得る。
荒木裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』という本をよんだ。
わたしがずっと、自分のなかでぼやかしていた部分を、的確に分解された気持ちになった。そう、あくまでも「分解された」だけだった。あとは、その分解されたものを「わたしがどう処理するのか」で、この本を読んだことに自分でどれほどの価値をつけられるかが、すべて決まってしまうとおもった。だからわたしはこうして、自分の考えを自分のことばで、きちんとだれかに伝えなければいけないと思って、noteを書いている。
この本を読んでいる最中に、わたしは、とある幼いころの記憶を思い出した。
小学生の頃わたしは、自分でコントロールできない、ある種の「クセ」のようなものに悩まされていた。
その「クセ」は1つではなく、いくつもあった。たとえば、呼吸をするときに、喉の奥のほうから息をするような吐き出し方をしてしまうことがあった。ほかにも、まばたきと同時に黒目をギョロッとさせていたり、鼻をひくひくさせるような動作をしていた。これらは無意識とはすこし違い、あくまでも自発的にやっているのだけれど、どうしても治らない「クセ」のようなものだった。
わたしはこれをしてしまう自分が、ほかの子と違っておかしいんだと思っていたし、「フツウ」でいられる子が羨ましいと思っていた。あるとき、家で父親の前でこのおかしな呼吸の仕方をしてしまったとき、父親から「それ、やめなさい」という一言を投げられたことを今でもおぼえている。わたしはそう言われた瞬間に、「どうしよう、バレてしまった」と思い、強い罪悪感を抱いた。そしてその時から、わたしの中でその「クセ」は、ますます「隠さなければいけないもの」という意識が強くなった。「また父親の前でおなじクセをやってしまったときには、怒られるかもしれない」という不安に、びくびくしながら生活していた。
大人になった今、それらのクセはいつのまにかほとんど無くなっていた(目をギョロッとさせるのは、今でもたまにやっているかもしれない)。
そして大人になったわたしは、「チック症」という言葉を知った。
「チック症」は、幼少期に起こりやすい疾患であり、くわしい原因は解明されていないけれど、自分のコントロールできないところで不規則で突発的な体の動きや発声をくりかえし起こしてしまうというもの。そしてその代表的なケースには、先ほどわたしが挙げた3つのクセのすべてが該当している。
この言葉を知ったとき、わたしは「ああ、チック症っていうやつだったのか」という安心感を得た。もうこの症状にほぼ悩まされなくなっていたので、今となってはそこまで気にする存在ではないのだけれど、それでもあの頃の自分をすこし肯定できたきもちになった。
ただ、自分がなんの名前もつけられなかった現象に、ポンッと名前をつけられただけなのに。もし当時のわたしが、この言葉と自分が結びつくということを知っていたら、すこしは自分を認められたのだろうか。そんなことを考えた。
「言葉にしてもらうことの安心感」は、きっと誰にでもあると思う。きっと、それは「自分と社会がつながる」という体験に近いんじゃないかとおもう。社会という「そっち側」に入れてもらえるような感覚だ。
しかし、その一方で「言葉にされてない」ことが、この世には多く存在している。つまり、「社会とつながれていない」ような気持ちになっている人たちがいるということだ。
例として、多くの人が生活のなかで何気なくつかっているであろう、『なんか』という言葉ついて考えてみる。
たまに自分の話し声を聞き返す機会があると、わたしはそのあちこちのスキマに、この「なんか」という単語が入り込んでいることに気づく。わたしは、この無意識のうちに挟みこんでいる単語の野暮ったさが、どうしても気に入らない。もしもこれが書き言葉だったら、わざわざこんな表現をしようなんて絶対思わないのに。「なんか」というのはそれだけ、「うまく言葉にできないとき、咄嗟に会話の隙間を埋める」のにつかいやすい言葉なのだろう。
そしてこの単語は、あまり良くない意味でもつかわれることもある。
「あの子って、なんか他と違うよね」「なんか、変だよね」。はっきりと説明もしないままに、先入観や偏見だけをもって、勝手になにかを遠ざけようとする。そういうとき同調を求められた相手は、「なんか」の中身がなにかを確認する前に、「うん、なんかね」とうなずく。きっと小学生のころのわたしが恐れていたのも、そうした遠ざけられる対象に、自分自身がなってしまうことだったのだとおもう。
大抵、そういう「ムード」をつくっているのは、立場の強い人たちだ。「なんか」という日本語は、発する側にとっては使い勝手のよいベンリな言葉のようだが、「なんか」が積もり積もった社会には、きっとなにも残らないだろう。そうしてその被害をもっとも受けるのは、「なんか」によってうやむやにされ続けた、「立場の弱い人たちの言葉」なのだ。やっぱり言葉というのは、あってしかるべき存在なのだと、わたしは強くおもっている。
「多様性のある社会に」ということを叫ばれて久しいが、その「多様性」というのは、世界中の人の数だけ存在している。そのすべて一人ひとりに、最もぴったりと当てはまる言葉を探すことはむずかしい。だからこそ、言葉にされない苦しみというのは、だれにでも起こり得る。言葉と言葉のスキマでもがき苦しんでいる人たちは、この世のあらゆるところに存在しているだろう。「この気持ちを、なんて伝えればいいんだろう」「この苦しみを、わかってもらいたいのに」。そんなもどかしさを感じている人たちを、わたしたちは「言葉が届かない」というだけの理由で、見放すことなんてできない。けれどもわたしがいつも悩んでしまうように、そんな相手にかけるべき言葉をさがすのは、時としてとってもむずかしいことのようだ。
本の著者である荒井さんは、「言葉をつくる」という仕事をしていらっしゃるらしい。社会的に立場の弱い人たちのリアルな声によく耳を傾け、彼らを救えるような言葉を見出そう見出そうとしている。終わりの見えなさそうな苦労を想像するけれど、それでも、とっても価値のある仕事だと思った。
「言葉をつくる」、つまり「自己表現のバリエーションを増やす」ということは、行き場のない苦しみに追い詰められ、そしてそれに名前さえついていないことへのもどかしさと日々葛藤している人たちに、手を差し伸べることにつながるのではないかとおもう。だれかを表現する言葉が見つかることは、その人と社会の間にある川を行き来できるようになるということだ。つまり、言葉は「船」である。こうして日ごろnoteやSNSで文章を書き、自分の心情を「言葉」に乗せて発信しているわたしとしては、この「船」があることによって救われるきもちが、本当によくわかる。それに、ラジオに耳を傾けたり、本をめくったりしてみると、そこではだれかが漕いで来てくれる貴重な船の存在と出会うことができる。そんなふうに言葉の船を操り、だれかの心へと辿り着ける人たちは、わたしにとっての憧れなのだ。
わたしにできることはなんだろうか。どうすれば、言葉の船をうまく漕いで、そこにいるかもしれない誰かに手を差し伸べることができるのだろうか。
まだよく分からないけれども、大切だとおもっているものがある。
それは「想像力」だ。
わたしが日ごろどう言葉をかけていいのかわからない相手や、もしかすると見放してしまっているのかもしれない人々。
今回のnoteでは、そんな人たちへの想像力を、できるだけはたらかせながら書いた。
想像することは、時として「言葉の船」を漕ぐための手助けになる。
それだけは、ずっとおぼえておきたいとおもっている。
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