息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話 その後1
ついに退院することができた長男。
そこから1週間程、自宅でのんびり体力回復をしながら両親どちらかと過ごし、元気に過ごす力を充電した。
日に日に笑顔と口数が増え、倒れる前とほぼ変わらない日々を過ごした。
本人からすると、突然家族と離れ離れになり、見知らぬ場所、見知らぬ人の中で過ごさざるを得なかった3週間。
病気の治療としての大変さはもちろんだが、精神的にもとても辛い日々だっただろう。
まだまだその頑張りを補えるほどの時間は経っていないだろうと思っていたが、自宅療養3日目には『早く保育園に行きたい!』と訴えはじめた。
ただ、もう一度保育園に通うのであれば、病気の説明と今後のリスクも伝えた上で、また受け入れて貰えるかを確認する必要があるだろう。
退院前から漠然と思ってはいたものの、まだ話すことは出来ていなかった。
そこで、今週か来週のどこかで園長先生と担任の先生にお時間頂けるタイミングがあればお話をしたいのですが…と相談。
すぐに翌日の午後、お迎えで忙しくなる前の時間帯でどうかと返答を貰うことが出来た。
その日の夜子供達を寝かしつけた後、
《急性散在性脳脊髄炎という病気について》
《発症原因と思われるもの》
《発症から今までの経過》
《今後の治療の流れ》
大まかに4つの項目に分けてA4一枚のプリントを作った。
明日の説明の補助としての役割と、私自身の記録の為にも必要だろうと思った。
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翌日は午前中に散歩へ行き、公園で目一杯身体を使って遊んだ。
もう、動きに左右の違いは全くなく、ジャンプも出来るし走り回ることもすいすいっとやってのけた。
退院してからも麻痺や後遺症と思われる症状は出ておらず、倒れる前に出来ていたことは全て元通りにできるまでになった。
保育園に戻っても日常生活ではなにも支障はない状況だと感じた。
一度自宅へ戻り、昼食を食べてのんびりと過ごした後、昨夜作ったプリントを多めにコピーし、保育園へ向かう。
園児達はお昼寝中だった。
普段入ることのあまりない、今は使用者のいない食堂へと通される。
しばらく待っていてね、と言われ長男と共に座って待っていると、調理室の方が声を掛けてくれた。
「長男くん、ほんとに元気になったねぇ!良かったね!」
少し涙ぐみながら、頭をガシガシっと撫でてくれた。
「いやぁ、病名聞いてから園の職員はみんな一度は調べたよ。すごく稀なんでしょ?でもここまで元気に回復して、また会えて本当に嬉しいよ。」
心からの気持ち溢れる言葉に胸が熱くなる。
「気にかけて頂いて、ありがとうございます。」
そう伝えるだけで精一杯だった。
みんなが長男を気にかけて、回復を喜んでくれている。
家族のほかにもそんな場所がある。
それはどれだけ幸せなことだろう。
長男にとって、こんなに心強い場所はないだろう。
今まで以上に大切にしていきたい、と思った。
「あっ、お母さんお待たせしちゃったね。」
そんな明るい声と共に、園長先生と担任の先生がきてくれた。
「こちらこそ、お忙しいところ突然お時間頂きましてありがとうございます。」
立ち上がりお辞儀をすると、
「いやぁね、座ろう!それで、長男くんいつから保育園戻れそう?」
さらっと言われた言葉にぽかんとした。
「あ、えぇと、色々と病気やこれからのリスクの説明をしなければと思っていたのですが、聞いた上でご判断頂かなくても大丈夫でしょうか…?」
園長先生も、担任の先生も、私の不安などわかりきっていたのかもしれない。
「もちろん聞くけれど、どんな話でも受け入れるつもりですよ。うちの保育園の一員だもの。」
この言葉を言うには、相当な覚悟が必要だったはずだ。
救急車を呼んでもらったときの先生方の様子を思い出す。
誰もが蒼白な顔をしながらもテキパキと動き、息子と共に他のお子さんのこともフォローしながら守ってくれていた。
そんな先生方のことを大好きな長男を、出来ることならこの保育園に戻してやりたい。
大好きなお友達と大きな声で歌い、笑い、時にケンカをしながらも成長していく様をこの保育園の先生方と共に見守っていきたい。
そんな願望と共に精一杯わかりやすく見やすくを目指して描いたプリントを先生方の前に置く。
「本当にあたたかく見守って頂いて、ありがとうございます。
一応説明させてもらって、本当に受け入れられると判断頂けましたら、本人はすぐにでも復帰したいと言っているので、週明けからお願いしたいと考えております。」
涙を堪えるのに必死で、鼻の奥がつんとしていた。
声も震えていたかもしれない。
そんな私を長男は不思議そうに見つめ、先生方はあたたかく微笑んで見守ってくれていた。