10年前のあの日の記憶9
太陽は真上に登り、春を感じさせるあたたかな日差しが差し込む。
掃除や家具の移動などの力仕事をしていると汗ばむほどのあたたかさだった。
午後は『非常用の水源』と指定されていた近所の公園へ行き、水を汲んだ。
自宅に水汲み用のポリタンクなどは無く、家にあったペットボトルをかき集めてリュックに背負う。
お風呂に残り湯があった為、トイレを流すことは出来たが、料理に使う水は非常用のものがほんの少しあっただけだった。
3人がかりで手に入れた水を運び、近所のコンビニやスーパーを手分けして見て回ったが、閉まっているか、品物はほとんど無い状況だった。
そのほとんど残っていない品物を買うために驚くほどの人数が綺麗に整列し並んでいた。
自宅に戻り一息つくと、もう日差しは西日になろうとしていた。
朝日と共に動き出したはずだけれど、あっという間に日が暮れる。
またあの真っ暗な夜が来るのだ。
そう思うと背筋が冷えた気がした。
灯りと暖を取るため、電気を使わない灯油のストーブを引っ張り出して点ける。
その上にヤカンを置き、お湯を沸かした。
そうこうしているうちに父が帰宅した。
駅前のエリアは電気が点いているところもあったようだったが、交通機関は全滅で復旧の目処もたっていない様子だった。
家族が揃い、陽が落ち切る前に夕食を食べようと、ストーブで沸かしたお湯でカップ麺を作った。
地震発生から今まで、前日の夜に暗く荒れた家の中から母が持ち出してくれたおせんべいやクッキーを少し食べた程度だった。
それでも、一日中動き回っていた割にお腹がすいたと感じることは無かった。
それは緊張していたからだと、この時初めて気が付いた。
湯気のたちのぼるカップラーメンのスープをごくり、と一口飲む。
身体中に染み渡るあたたかさに、身体からふっと力が抜けた。
また一口、もう一口。
普段そんなに飲むことの無いラーメンのスープをゆっくりと味わっていた。
「…あったかいごはんって美味しいね。」
ぽつり、とそんな言葉が出てきた。
家族が揃って、あたたかい食事が食べられる。
何気ない日常の一コマにすぎなかったその瞬間が、あたりまえではなくなってしまったのだ。
その頃にはもうすっかり日も暮れて、ラジオを流しながらランタンの灯りだけをたよりに食事を終えた。
その間にも余震は何度も何度も繰り返しやってきた。
その度にストーブを止め、ラジオで情報を得ようと耳を傾ける。
リビングに布団を敷き詰め、枕元に防災用品を詰めたリュックを置き、コートを着たまま布団に潜った。
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