息子が急性散在性脳脊髄炎になって倒れた話13
夫と次男が待つリビングへ戻ると、泣き声が聞こえたのであろう夫が心配そうに私を見た。
「ちょっと、積み重なった不安を吐き出してきたよ。お母さんに話聞いて貰ったら元気になった!」
久しぶりに心から笑顔で答えることが出来た。
「そっか…!良かった。そういうの大事だよね。」
少しホッとしたような顔で、そう言ってくれた。
不安なのは夫も一緒だ。
泣き声が聞こえたら、心が掻き乱される瞬間もあっただろう。
でも、今回の出来事が起きてから、涙を流すことはあっても、責め合うことは無く、お互いを思い合う言葉を掛け合ってきた。
こんな状況のとき、お互いにお互いを支え合える相手と一緒になれて良かったな。
心からそう感じた。
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そこからは前日と同じようにノートに夫から長男へ手紙を書いてもらい、それを本人に読んで貰ってボイスレコーダーに録音した。
長男が赤ちゃんの頃から子守唄がわりに読んでいた絵本や、大好きな物語を5冊程用意した。
目が覚めた時の為に、DVDも持っていこう。
少しずつ前向きな気持ちに切り替えながら準備を進めた。
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面会の時間が近づくにつれ、徐々に緊張感が高まり、ご飯どころかお茶も喉を通らなくなった。
私は何に緊張しているのか。
自分でも分からなかったけれど、とにかく長男に会える。
それだけで嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだった。
そのまま家を出て、病院に向かった。
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PICUに到着し、長男のベッドまで足を進める。
そこには2日前と変わらず眠る愛しい我が子の姿があった。
相変わらず、両手足、胴体、頭と様々なところからコードが伸びていたし、脳波の波形も一定ではなく、激しく波打っていた。
それでも、彼の姿を見れたことにホッとした。
そして「生きている」ことを実感した。
そこに朝電話をくれたPICUの医師が来て、声を掛けてくれた。
「朝は突然連絡してしまい驚かれましたよね。」
その後のほんの少しの沈黙に、にこやかに話しかけてくれた医師からの気遣いと話し出すことへの躊躇を感じた。
「…息子さんの状況ですが、朝説明させて頂いたとおり、あまり良いとはいえません。
まず、昨日から鎮静剤の量をかなり減らしていて、つねったりする痛みのテストも行ったのですが、反応が良くありません。
本来であれば、この投与量では眠り続けるということは無くて、挿管の苦しさでもっと暴れたりすることが予想されます。
でも、そういう反応が殆ど無いんですよ。
つねったりすると手で払おうとしたりはするのですが、目をあけたり苦しそうにすることはありません。
これは薬で眠っているのでは無く、本人の意識レベルがまだかなり低いということです。
次に脳波ですが、こちらもステロイドパルスの効果が見えていないのが現状です。
モニターを見ていただくとかなり激しく動いていますよね。
脳波の「健康時の状態」というのを説明するのは難しいのですが、こんなに激しく間隔もバラバラというのはあり得ません。」
脳波のモニターについては、見ても良くは分からなかったものの、8〜10本くらいの線がそれぞれ生きているかのようにかなり激しく動いていた。
子供がお絵かきをしている時のようなガチャガチャとした線だった。
『意識レベルが低い』
その言葉がズシン、とのしかかる。
倒れた当日から今まで、「挿管の苦しさで暴れることの無いように鎮静剤を入れて眠らせている」と説明を受けていた。
だから、目を覚さないことを「薬のせいだ」と受け止めていて、変に思うことも疑うことも無かった。
それが、今目の前にいる息子は「薬で眠らされている状態」では無く、「意識が無い状態」なのだ。
ドクン、と心臓の音が耳に響いた。