息子が急性散在性脳は脊髄炎になって倒れた話16
翌日の朝は、義両親の訪問に向けて準備をしたり、次男に声掛けをしたりしながら過ごした。
次男は半年前に義実家を訪れてはいたが、当時は生後半年。
その後は新型コロナウイルスの流行によりどちらの実家にも帰省していなかった。
保育園と自宅以外の場所は近場の公園やお散歩程度。
家族と保育園関係の人以外、長時間一緒に過ごしたことは一度も無い次男。
産まれてから3度目の対面となる義両親へどんな反応をするのだろうか、とドキドキしながら見守った。
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結果は大泣きだった。
強張った顔で父と母にしがみつき、手をのばすだけで泣き叫ぶ。
子煩悩で、日々孫達の世話もしている義両親もタジタジの様子だった。
自宅で顔を合わせ、来て頂いたことへの感謝の気持ちを伝えると、
「今回のことは、本当に突然であなた達も驚いたでしょう。辛かったよね。
でも、昨日色々と話を聞いたけれど、本当によくやってると思う。偉かったね。頑張ったね。」
心配そうな、涙を堪えたような表情で、労いの言葉を掛けてくれた。
その優しさに込み上げてくるものがあり、溢れそうになる涙をグッと堪えながら、
「ありがとうございます…。長男も病院で頑張ってくれています。」
と伝えた。
そこから、今までの経過の話や、前日の長男の様子を伝えたり、ボイスレコーダーに長男へのメッセージを録音してもらったりした。
あっという間に義両親が帰る時間となり、夫と共に見送った。
ほんの数時間話をしただけなのに、とても心細い気持ちになった。
その後は長男に向けて手紙を書いたり、それを録音したりして、面会へ向かう夫を見送った。
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PICUに入り、夫がベッドに辿り着いたとき、長男は眠っていたそうだ。
その場に居た看護師さんに挨拶をすると、昨日からの様子を教えてくれた。
前日の面会後に少しずつ意識が戻ってきたこと。
まだぼーっとしていることは多かったものの、夜には「パパ」や「ママ」、他にも何かしゃべろうとしていたこと。
そして、午前中には脊髄の炎症確認の為MRIを撮影し、脊髄には炎症は見られなかったことを教えてくれた。
その点も含めて、夕方まで様子を見て自発呼吸に問題が無さそうであれば、人工呼吸器を外してみる予定でいることを教えてくれた。
その後は絵本を読んだり話しかけたりしていると、長男が目を覚ました。
やはり挿管が苦しいのか声は出さなかったが、呼びかけに対して頷いたり、首を横に振ったりしてコミュニケーションが取れるレベルまで回復していたそうだ。
看護師の方の「お口をあーんしてくれる?」などの指示もきちんと理解して動作もスムーズに行えていたとのことだった。
何度か質問をしたりすると疲れてしまい、目を瞑って眠ってしまったが、かなり良くなっていることを実感した、と興奮気味に教えてくれた。
主治医の先生からは、
「脳波のほうも少しずつ良くなってきています。
ステロイドパルスとガンマグロブリン、どちらの効果も出てきているのでしょう。
まだまだここからではありますが、一番深刻な時期からは抜け出せたのでは無いでしょうか。」
と、言ってもらえたそうだ。
『まずは1週間が勝負です。そこが彼の山場だと思ってください。』
長男が倒れた翌日、初めて主治医の先生から病状の説明を受けたときに言われた言葉が頭に浮かんだ。
救急車で運ばれてから5日目。
暗い沼場で足を取られ、足掻いても足掻いても沈んでいくような日々だった。
そこに光が差し込み、ようやく一歩を踏み出せたような気がした。