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230315_時間と空間を超えていく

時間というものに思いを巡らせていて、検索などで色々見てますと科学のほうでも時間というものは連続していないし皆が一般的に思っているようにそもそも時間なんて流れていないという話が登場しているようなんですが、

自分も時間というものは極めて錯覚的なものであり現実世界という幻想世界をさも実在しているように見せかける小道具に過ぎないと思っています。

時間を考えるとき必ず空間というものもセットになってくるので従来の時間という概念の崩壊は空間の概念の崩壊も意味しています。

人類は時間というイリュージョン小道具を超えていくことが出来るのか?そういう時期に来ていると思うのですが、そのためには時間に関する思い込みを外していくことが必要であると思います。以前に以下の記事を書いたのですが。

230220_自分とは泡のような感じ|クリスタル・フラーレン|note

自分と思い込んでいる体は瞬間瞬間で立ち上がって瞬間瞬間で消えているという話なんですが。これは夜空を見上げたときに見える星も同じような感じで見えることがあります。星が明滅してますよね?

星も一瞬一瞬立ち上がって瞬間瞬間で消えている感じで。人間の肉体もそんな感じで瞬間瞬間の肉体は別物と考えることが出来るのですが、ここをどうも瞬間瞬間が連続していると設定(思い込み)しているため、連続しているように脳が見せてしまっているようです。そのため時間は過去→現在→未来と流れているように錯覚し、自分という肉体が未来の死に向かって進んでいるという架空のストーリーを作って、その架空ストーリーをあたかも本当のストーリーとして体験している際中が現在ということになります。

ストーリーを構成する一瞬一瞬は寿命までの分が既にあることになりますがこの瞬間瞬間の画像を一定の設定のもとにとりあえず並べて順番に脳で見ている感じ。ということは設定を変えれば脳が見る現実世界というのはかなり変わってきます。結局、思い込み通り、設定通りに時間というものを感じてその時間、人生を体験しているだけで従来の時間に関する思い込みを外してしまえば別の時間体系になってしまうという・・・ということは今までの自分の人生と思い込んでいた過去の人生というのは膨大なストーリーがある中、1つの制約ルールの範囲内で見てきた、たった一個の不自然な物語、人生ストーリーに過ぎないということで。そこに絶対性はないということになります。時間設定を変えれば別のストーリーが常に出来上がるし立ち上がることになります。

このように考えてみますと【過去の自分があるから今の自分がそうなっている】という考え方は非常にあやしい考え方になると言えます。というのも時間というものを無理矢理、過去→現在→未来に流れるものと設定したときに出てくるただの一個の固定観念に過ぎないとわかってくるからです。

ということでこんな感じで頭の中で時間という概念をいじくっていると【未来の心配】【老後の心配】とかするのが如何に馬鹿らしいものであるか判明してきます。だってそこに【現役時代にバリバリ頑張っておけば老後は安泰】と思い込むことができるのは、時間が過去→現在→未来に流れるというイリュージョンがあるという前提があって初めて成立するものなので。
先ほども記載しましたように時間が過去→現在→未来に流れるなんて、そのうち異常な錯覚でした、不自然な設定でしたと大衆意識がなるかもしれないですから。

腕時計とか外して過ごしたほうがええんちゃうか?と思いますね。錯覚を強固に真実と思い込むアイテムになる可能性があるので。

クリスタル・フラーレン


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