私がnoteを始めた理由ー「明日死んでもいいなんて、嘘だった」
明日死んでもいいって思うくらい、
毎日を全力で生きていたい。
これは明日死にたいとかではなく
死にたくないけど明日万が一死んでしまっても後悔しないようにしたいってことです
やりたいことができること、
おうちがあること、
素敵なひとが周りにたくさんいること
もうこの事実だけで、明日死んでもいいと思えるには十分だと思っていました。
だけどね、先日、
とある方がとてもきらきらと目を輝かせて
と私に言ったんです
すごく嬉しくて、ぜひ教えたいと思いました。
今まで教えて欲しいと言われることがなかったわけではないのです、が、
私は教えるということに対して……
ものすごい苦手意識を感じていました
会社員やってたとき、2年目から教育係をやりました
一生懸命になって、焦りながら説明している自分。伝わってるかどうかなんて、ぶっちゃけ、全く自信がありませんでした。
それでも、その後輩のことを、ただただ、信じていました。
こうやって信じることには自信がありました。
教えることに自信ないのに、ちゃんちゃらおかしなお話ですよね笑
だからはっきりいって、彼彼女が成長していけたのは、彼ら自身の力であり、周りの人の協力があってのことだと思うのです。
その周りの人ってのの中に、私が彼らを信じたということが入ってたらいいなって思うくらい。
それなのに今回前向きに考えられたのは、
今まで、教えるということを気付かずにやってきていたことに気づいたから。
人生は教えるということにあふれていると気づいたから。
教えることで自分という存在を肯定してきたことに気づいたから。
私が素晴らしいと思うものは人に勧めるし、
英語のプレゼン大好きだったし、
ライブのMCだって、こうやって投稿を書くことだってある意味、
教えるってこと。
教える、というか、伝える、という表現の方が核心に近いでしょうか。
それに対して苦手意識などこれっぽっちも感じたことはありませんでした。
私は教育とか先生ってワードで考えると身構えてしまうみたいだ。
シンプルに、
素晴らしいと思ったものを、その素晴らしさが分かるように伝えるっていうことに尽きるんじゃないかな、たぶん。
だから、先生とかじゃなくて、ただの人でいい。
ただの人でも、あなたが「なんかこいつの言ってること面白い」とか「こいつの言ってることやってみよう」とか「そうだよねー」とか少しでも思ってくれるなら、私の伝えたいこと、伝えていこうと思います。
私の頭の中をぱかーんと開けて見せるようにね。
だからまずは、このnoteを始めてみました。
自分のためになりそうだとか、面白そうだなと思った方は続けて見ていただけたら嬉しいです(*^^*)
私の曲でDesireという曲があります。
その一節
これは、自分の存在を確認したくて自らを傷つけることもあるという意味の表現だったのですが、
これにはもうひとつ意味があるんじゃないかと今思いました。
自分の存在を残したくて、血を流すくらい一生懸命に伝えるという行為をする
ってことなんじゃないかと。
まさに上で言っていたことじゃん。
自分の曲のくせに、こうやって新たな意味を見出しちゃうってなんか面白いよね。笑
だから、
「明日死んでもいい」
なんて、
嘘だった。