鑑賞ログ「白い牛のバラッド」

@TOHOシネマズシャンテ

重い作品が観たい。そう思う時の心境ってなんだろう。予告以上の情報はなく鑑賞。
期待通りの作品だった。

ミナの夫が冤罪で捕まった夫が死刑宣告されて命を落としてから約1年。昼は牛乳工場で働き、土産用のビンを加工する内職をしながら、細々と生活している。
一緒に暮らす一人っ子の娘のビタは耳が聞こえず、小学校に行きたくないと落ち込んでいる。父親の最後を知らないビタには、「お父さんは私たちのために遠いところにいる」と伝えている。
夫を亡くして家賃を滞納しがちな自分たちのことを気にかけてくれる大家のいるアパートには時々夫の弟が尋ねてきて、「父(ビタにとっては祖父)が、孫と暮らしたいと言っている」と娘を引き取りたいと申し出てくる。そして「若いんだから、いつまでも喪服でいるな」とも。
誰も必死に生きる自分の体にナイフを突き立てることはないけれど、生活は追い詰められ、まるで何かに気圧されるようにミナは息苦しさを感じている。
そんな中、夫の犯罪とされた事件の真犯人が見つかり冤罪が証明され、補償金として2.7億トマン(日本円で約7380万円)が支給されることに。
ミナと一緒に補償金の話を聞いた義弟は、ますます母娘に付きまとうようになる。
その頃、結婚の前に借りた金を返しにきたと、夫の旧い古い友人のレザが訪ねてくる。
一方でミナは夫に誤った判決を下した裁判所に謝罪を求め日参していた。
しかし、夫に判決を下した裁判官には会えずにいた…。

大きく言えば、「赦しとは何か」というヒューマニティを問う作品。
もう取り返しのつかないことをいかに赦すか、罪深き人を愛せるか。
自分が愛する相手の本質と、相手が犯してしまった罪との整合性をいかにつけるか。
他人の自分が知らなかった一面を発見したとき、「あんな人だとは思わなかった」と人は言うけれど、それはその人の一面を知らなかっただけという理解の仕方もある。

自分が罪を犯してしまった時に、いかに悔い改め、振る舞うか。
自らの罪に私は向き合うことができるだろうか。
レザの存在に心の癒しを感じながら、無念の死を遂げた夫の無罪を証明することこそがミナの心の中に夫がまだ大きく存在することを示唆する。
そしてレザもまたミナに救いを求めるが、それは間違いなのか。
行間も広く、深く考えさせられる話だった。

主役のミナを演じるマリヤム・モガッダムは本作の共同監督も務めている。
もっとヒリヒリした作品かと思ったけれど、落ち着いたトーンで綴られた作品。
ドラマチックにしようと思えばもっとできるだろうけれど、あえてのトーンがよりこの作品の良さをとラストを印象的にしていると思う。


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