「何も考えず、緊張せずに生きていく」そんな当たり前の大切を中洲のまどろみが教えてくれる(韓国映画「福岡」の感想)
かつての恋敵に会った時、自分ならどんな顔をするだろう。相手は自分を見て、一体何を思うのだろう。
ソウルでしがない古本屋を営むジェムンは、不思議な女子大生ソダムにいざなわれ、福岡にやってくる。しかしふと訪れたバーには、ジェムンの恋敵で大学の先輩ヘヒョがいた。
ジェムンもヘヒョも共にアラフィフなのに、28年以上前2人が同時期に恋に落ちた女性ソニのことが忘れられない。「ソニが惚れていたのは俺だ!」「いや、最後にソニに会っていたのは俺なんだから、俺に惚れていたに違いない!」と2人は会って早々28年前の恋模様を思い出しては口喧嘩を繰り返す。
そんな痛々しいおじさん2人を、うら若いソダムが「2人とも、何だか似ていて可愛い」と面白そうに眺めている。
この福岡国際映画祭が開催されている中洲を舞台に物語が進むので、観客である私たちは現実と物語が混ざり合ったような、不思議な錯覚を起こす。そしてストーリーも現実と幻想が混ざり合い、まるで夢うつつを見ているような状態で進んでいく。博多の街の雰囲気の良いバーやカフェ、そして中洲の川沿いが物語にアクセントを加え、作品をより魅力的にしている。
最後の最後には、結局何が真実なのかがどんどん曖昧になる。でも、今流れる空気の心地よさを感じる大切さは、ジェムンが作中でポツリと言うように「何も考えず、緊張せずに生きていく」そんなことを体現しているような気がする。
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