記事一覧
行方不明になった少女を追いながら、“見えざる差別”について考えた:イラン映画「ある女優の不在」の感想
たとえ主張していることが正論でも“女性だから”という理由で石を投げられ、忌み嫌われるような男性優位社会。
アゼルバイジャンの片田舎にある閉ざされた村社会で、一人の少女が自分の夢を実現させるためには、誰か権威のある存在に味方になってもらうしかない。そう例えば、テレビドラマの世界で輝く女優のような、誰もが認める存在に…。
少女マルズィエも最後にそんな思いを込めて、女優のジャファリに自殺をほのめかすよ
【福岡観客賞受賞作品】インド映画「シヴァランジャニと2人の女性」感想
専業主婦の労働を賃金に変換すると、その額は年収にして300万円程にもなるらしい。
それなのに、どうして専業主婦の頑張りは軽んじられるのだろう。
いや、それ以上にどうして家庭に入った女性は、自分の個性を消して家族に尽くし、そして時には奴隷のように家長に奉仕しないといけないのだろうか。
女性を取り巻く環境は、インドの方がより過酷だ。
男尊女卑が激しいインドの家庭を、今作では3つの時代とパートに分けて
「何も考えず、緊張せずに生きていく」そんな当たり前の大切を中洲のまどろみが教えてくれる(韓国映画「福岡」の感想)
かつての恋敵に会った時、自分ならどんな顔をするだろう。相手は自分を見て、一体何を思うのだろう。
ソウルでしがない古本屋を営むジェムンは、不思議な女子大生ソダムにいざなわれ、福岡にやってくる。しかしふと訪れたバーには、ジェムンの恋敵で大学の先輩ヘヒョがいた。
ジェムンもヘヒョも共にアラフィフなのに、28年以上前2人が同時期に恋に落ちた女性ソニのことが忘れられない。「ソニが惚れていたのは俺だ!」「
ジャカルタのナイトライフは想像以上に『最&高』(インドネシア映画『夜明けを待ちながら』の感想)
この映画の主人公たちは、Djakarta Warehouse Project(略してDWP)というEDM系のダンスイベントに向かう若者たち。
ちなみにDWPは日本で例えるならウルトラジャパンみたいな感じで、若者たちは「退屈な日常を覆すようなハレのイベント」に心踊らせる。
男友達で、ダンス踊りながらテンション爆上げで女の子に声かけようぜ!という野郎どもや、友達の元カノをDWPに誘おうか逡巡する青年
復讐という残虐な行為すら美しくする魅惑のチベット文化(中国映画「轢き殺された羊」の感想)
チベットで暮らすカンパ族には「遂げられない復讐は、恥に値する」という格言があるらしい。
人も寄り付かない荒野でトラックドライバーをするジンパは、革ジャンに身をまといサングラスをかけたアウトローな“いでたち”の男。自分の一人娘を唯一の生きがいにし、今日も娘を思ってオペラ「オーソーレミーオ(私の太陽)」を口ずさむ。
そんなある日、彼はカンパ族の衣装をまとい、荒野をさまよう男と出会う。彼のいでたちか
タイの青春モノ映画が、夢を追いかける尊さを教えてくれた話(「カンペーン」の感想)
人は自分を見失った時、そして自信をなくした時に「過去の自分」に戻るのかもしれない。監督と主演を務めたナークプー監督は、予算や機材が限られているというまさに“うだつが上がらない状況”の中で、自分の過去を振り返る今作を撮影している。
題材は、幼くして出家したものの映画の世界で活躍したいという夢が捨てられない少年僧のルン(若き日のナークプー監督)。ルンは屋外映画(屋外に映写機を持って行って星空の下で映
イラン映画を見て「報われない恋」に想いを馳せた話(「恋の街、テヘラン」の感想)
「イランってどんな国なんだろう?やっぱりムスリムの戒律を守る厳格な社会なのかな?」と構えていたが、この映画を見てイランに対するイメージが変わってしまった。イラン人も私たち日本人とあまり変わらないんだという点を発見できた。それは『どこかにある恋』にぼんやりとした憧れを抱き、目の前にそれが現れた時に一喜一憂するということだ。
今作はテヘランで起こる“上手くいかない”恋のストーリーを3人の主人公が描い