お爺さん(74歳)の思い出 その13 読売ジャイアンツV9のその後
読売ジャイアンツが9連覇が始まった年より、ドラフトが導入された。戦力均衡化を意図し導入されたものである。左翼手高田繁やエース堀内恒夫が、V9期間中に最優秀新人賞などを初期に獲得したことでV9メンバーが固定化された。反面若手の突き上げがないに等しく、V9時代のレギュラー、特に野手の入れ替えはほとんどなかったため、V9達成時はレギュラーメンバーのほとんどがベテラン選手であった。
そのため1970年代に入ると、徐々に主力選手の高齢化による衰えが見え始め、同時に他球団にもドラフトの効果が、徐々に現れてきたことも相まって、チームの勝率も徐々に低下。末期の1973年シーズンは混戦となって、最終的には勝率.524だった。
翌1974年には中日の優勝を許し、V10はならなかった。しかしながら順位は2位も、優勝した中日とはシーズン終わってゲーム差はなしであった。
この年を最後に川上が監督を勇退し、同時に長嶋・黒江・森も現役を引退した(長嶋はそのまま監督に就任し、黒江はコーチに就任、森は解説者に転身した)。長嶋が監督に就任した翌1975年は一転して球団史上初となるシーズン最下位に転落した。第一要因は長嶋自身の穴でありることから、大型トレードや、外国人枠を起用で解決することとなった。
1976・1977年にはリーグ2連覇を達成したが、日本シリーズはいずれも阪急に敗退し、翌1978年にはV9メンバーだった広岡達朗率いるヤクルトとの優勝争いに敗れた。
V9メンバーからプロ野球監督に、なった者が多いのも特徴的で、巨人以外の監督も含めると10人以上が挙げられる。
独自の管理野球でチームを率いてヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた広岡達朗、川上野球を受け継ぎ1990年代の西武黄金時代を築いた森祇晶、川上野球からの脱却を図った長嶋茂雄、攻撃野球を目指し福岡ソフトバンクホークスの、黄金時代の土台を築いた王貞治、守備優先のチームを作った土井正三・高田繁、史上最強打線を作った堀内恒夫など、V9戦士が監督をつとめたチームの特色は様々であった。
また、V9以後巨人は日本シリーズを連覇したことがない。
セ・リーグに限ると、巨人のV9以降のリーグ連覇は3連覇が最高で、これまでに3度ある(2007〜09・2012〜14年の巨人、2016〜18年の広島)ただし、日本シリーズを連覇したのは1979〜80年の広島の2連覇だけである。
ソフトバンクは2020年巨人のV9以来の日本シリーズ4連覇を達成し、パ・リーグで初めての同一球団での4連覇が発生した。
いかにリーグ優勝はもとより、連覇が難しいかがよくわかる。とくに、ドラフト制度導入で、各球団の戦力均衡が図られていることも要因の一つかも知るない。
本日もありがとうございました。
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