⑨また学校へ行く。
まだ以前の店番をしていた頃の話です。
その仕事を通算三年もしていたわけですが、その間にトルコ人を通じてたくさんの知り合いと友達になりしました。彼は非常に優しい人で仕事帰りにいつも車で送ってくれて、行きつけのバーでビールを飲んだり、友達とわいわいやっていました。男同士で延々とハグをするのをこのとき初めて目にして、それなりにカルチャーショックになりました。
私も独り身で特にやることもないので、週末などはその場にいつも出向いて一緒に過ごすことが増えてゆきました。次第にとても親身になってくれる兄貴分とその彼女の家に入り浸りたったのです。
自給千円の私の将来の展望も心配してくれて、学歴を見直すことを進められたのです。実は大学かエンジニアへ進もうと思ってTOEFLを受けたのですが、合格には程遠いスコアが出ました。
高学歴でカナダに来たわけでない私は、ここで学歴不足が発生してしまった。簡単に言うと大学に入るためには、カナダ人と同等の高卒の学歴を必要とする。そしてカナダの高校を出ていない人は英語のスコアが必要です。皆さんご存知の通り。
何処でも同じと思いますが、カナダには海外で受けた学歴のスコアを評価する施設があります。それがカナダの高校卒業と同等の授業及び採点であるかを比較検討して、アップグレードが必要があればその説明をしてくれます。
予想が現実となり、私はカナダのカレッジに通うことになりました。しかし運悪く私は英語とその他の科目を取ることになりました。その他は計算が中心となるためそれほどの苦労もなく、逆にほかのカナダ人に教えたりもしました。
しかし英語の授業はきつかった。現地人との読むスピードの違いを嫌と言うほど体験させられました。何せ辞書も使わずに3倍以上の速さで読み上げ、同時に意味もしっかりと把握している。これは後に技能学校へ行くための下準備にもなりました。
従って私は仕事を終えてから猛スピードで夕飯の支度をして、場合によってはお弁当を作ってバスを乗り継ぎ学校へ通い始めました。なるべく早く終わらせたかったので、二科目同時期に受けました。
そのお陰で月火と木金は仕事の後に、バスを乗り継いで学校へ行きました。はい、そこで知り合った居候にオートバイをもらったので、後半は移動手段がスムーズに運んだことに感謝しています。
学校に通ってよかったことは、やはり今でも付き合っている友人が出来たことでしょうか。フィリピン女性の仲良しの家に食事によばれたり、逆にこちらが食事に誘ったり。その頃は仕事と学業を両立させる多忙で充実した毎日を過ごしていました。
学業を終えた頃から、そのときの店番をやめるチャンスを狙っていたともいえます。やはり学をつけて上を目指さなければ、時給千円の悪循環からは逃れることは無理です。
意外に思うかもしれませんがカナダは日本以上に学歴社会だと思います。しかし年齢にはそれほどこだわらないのでそういう面では逆にチャンスかもしれません。
店番三年間の間に下準備は済ませておいたのさ!