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シンクロニシティ!光の人☆覚めの道! 「般若心経」★最強Or最怖の巻②

霊能者も宗教も解決できなかった問題を
解決してくれたのは従妹の親友の
専業主婦でヒーラーの真理さんでした。

神に通じる祝詞の奏上の仕方を
教えてくれたのは、絢さんでした。

清め浄化の歌を歌うのは、ちゅりさんで、
未来のビジョンを察知するのは、結(ゆう)さんだ。

K・ありがとうさんは、言葉で人を励まし続けている。

菊理姫様がいらっしゃる北陸出身の
「ともみん」さんは人見知りを克服し、
ヒーリングとレイキで人を癒している。

※ともみんさん、ちゅりさん、結さん、
 K・ありがとうさんは、noteで活躍中

巷には、般若心経の本、情報が溢れている。

写経、読経、解説本。
中には、「般若心経でセルフ除霊」
「般若心経で開運」などの本もある。

そんな本の中に、陶芸家、版画家、映画監督
文化人と多彩な才能を持っていた池田満寿夫さんの
「無」般若心経陶写真集がある。

池田満寿夫さんは、当時私が信じていた
スピリチャルの団体の実質教祖のFと
親交があった。

Fは前世鑑定を得意として、
有名人と対談し喜ばれていた。

どの人の前世も歴史上の偉人で
それを悪く思う人はいなかった。

池田さんの前世鑑定も、Fの書籍に載っていた。

池田さんは、1990年代から
般若心経をライフワークとして、
陶器で表現していった。

1997年、熱海の自宅に戻ったところ
地震が発生、驚いた犬に飛びかかれ転倒し死亡。

享年63歳池田さんは、Fさんから
晩年世界で活躍を約束されていた。
全く外れていたのは言わずもがな。

もう一人、松田優作さんは、1984年
母の死をきっかけに、般若心経を読み、
写経を始める。

「般若心経の写経と座禅を始めてから、
いろいろなものが見えてくるようになった。」

「悟りの境地まであと一歩になった。」
「俳優の仕事は、悟りに至る道程と思っている。」
松田優作の言葉です。

それから5年 。
40歳で亡くなる。
享年40歳。

眞理さんは、叡智から悟りとは
「幸、不幸、運、不運の全てを学びと考えられること」
と神託を受けた。

決して、「無」の境地で、彼岸を急ぐことではない。
池田満寿夫さんの写真集の題名は「無」
松田優作さんの墓石には、「無」と刻まれている。

お経も祝詞も、神仏への帰依があってのもので、
それがなくして読むことは危険なのかもしれない。

3年前、そらでも読めるようになった般若心経、
それを止めて3年2022年とんでもない場所で
読むことになった。

叡智からの願いで。その場所は、青木ヶ原樹海…。
最怖の心霊スポット…。

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