「亡国」の政府農業政策
前回、日本の農業がいかに危ういところに立たされているのかを書かせてもらいましたが、それは「わたしたち日本人の食」がいかに危ういところにたたされているのかと同義語です。
日本の農業の危機について、紹介させていただきました経済学者の鈴木宜弘氏は早い段階より警鐘を鳴らしてきました。
幼少より家業として農業に勤しみ、農水省の官僚として日本の農政を間近で見てきた鈴木氏は、このままいけば日本の農業は立ち行かなくなることは明白であり、もはや看過はできないという思いからなのだと思います。
World U Academy/ヒーローズクラブ「【鈴木 宣弘氏 講演】大人が学び考えよう「食の安全保障をどう守るか」豈プロジェクト横浜公演から特別講義をフル公開」より
今回のコメ不足は、すべてとはいいませんが、大きくは政府のでたらめな
農業政策によって生じたものだといえると思います。
2018年まで続いた「減反政策」。食生活の変化によりコメの需要が減少する中、米余りが生じたため、政府が農家に過剰なコメは作らないようにと、農家に生産目標量を与え、それ以上つくる農家にはペナルティを与えるものでした。
たしかにそれは供給過多によるコメの価格の下落を防止するという見方もできますが、それでも生産供給能力がある耕作地を簡単につぶしていくというやり方は、食の安全保障上もいかがなものかと思ってしまいます。
そもそも本来であれば、日本人は米が主食であったにもかかわらず、その
消費が落ちていった大きな原因は、アメリカの食糧政策で日本人の食文化をコメから麦に変えていったためであり、それに異を唱えず積極的に協力していった日本政府の責任は大きいと思います。
実際、わたしが小学校、中学校のときは、給食は9年間を通じて食パンで、
お米があるのにもかかわらず1度もご飯が出たことはありませんでした。
さらにどこかの御用学者が、「コメを食べると阿保になる」といった発言をしたり、コメを食べると太るという言説が流布されたのもこのころではなかったでしょうか。
普通に考えれば、製造過程で砂糖を使い、さらに食べるときにバターや
ジャムをつかうパン食のほうがはるかに太ると思うのですが、当時(今も)の日本人はそれらを鵜呑みにして、疑問に思う人はいませんでした。
「減反政策」をやる以上たいせつなのは農家の所得を保証するということです。本来もっと作ることができるにもかかわらず、それを政策として抑えるわけですから、農家の所得は守らなくてはならないのは自明の理です。
それを補完していたのが「食糧管理法」でした。
農家が生産したコメを政府が買い取り、それを市場におろす。
農家の収入が十分に確保できるように、政府が価格を決めて買い上げる制度で、これは農家の保護からも理にかなっていたと思います。
農家から買い上げるいっぽう、消費者がコメを買いやすくするため、市場におろす価格を安くする。するとそこに価格の差ができます。
この差はあたりまえの差であり、この差に税金を使うことは食の安全保障上必要なものだと思います。
事実、アメリカやヨーロッパ諸国でも、売価よりも高い金額を農家に支払うことで農家を保護しており、国のもといである農業を保護するためにあたりまえのことです。
にもかかわらず、日本ではこの当然の差額に税金を使うことに対して、
「農業は金食い虫」といったレッテルを貼る勢力(財〇省など)があり、それもあってかこの食管法は廃止となりました。
その代わりにできたのが、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」(通称:食糧法)というもので、いままで価格を管理をして農家を守っていくという方針を一転して、その多くを市場競争経済に任せるというものです。
すべてを「市場競争経済に任せる」というと、アメリカお得意の「新自由主義」そのものですが、巨大資本を持つグローバル企業ならいざしらず、個人経営の小規模農業がほとんどの日本の農業に適するのでしょうか。
それもあってか、日本の農家はどんどん疲弊していき、廃業する農家は増加の一途をたどっています。その数はもはや看過できるものではなく、本当にこのままいけば日本の農業は消滅してしまうかもしれません。
日本の農業が消滅してしまうということは、すなわち食のすべてを海外の輸入に頼るということであり、輸出する国に日本の殺生与奪の権限を与えてしまうということです。
だから日本以外の国は、自国の農業を手厚く保護しているのです。
これを考えると、日本政府のやっていることは、「亡国」「売国」といわれても致し方のないのではないでしょうか。
続きます。✋ ここまで読んでいただきありがとうございます。