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今は常に想定外

私達がいるのは常に今です。

過去はあったと思えるだけのもので、どうにもならない幻想です。

常に今しかないから、未来は永遠に訪れません。

私達の性格、価値観、知識などの記憶は過去の産物です。

記憶(過去)という眼鏡をかけて見れば、一切の物事は過去のものとなります。

現実は今しかないのに、見ているのは過去となるわけです。

記憶を今に生かすことは大事ですが、記憶に縛られると今を失うことになります。

今という瞬間は常に新しく、新鮮ゆえに今という瞬間は常に想定外なんです。

つまり今という瞬間、瞬間が未知なるもの、わからないものなんです。

人は先のことがわからないと不安になるから、先のことを決めたがります。

これが記憶への閉じ籠もりとなり、未知なるものへの恐れを増大させることになります。

ですが皆さん、過去に縛られたままというのは進歩、進化を否定することだと思いませんか?

人は未知なるものに挑んできたからこそ、進化向上してきました。

未知なるものは己の外側だけにあるのではありません。

己の内側にもあります。

己の内側にある、目を背けてきたものも未知なるものです。

未知なるものに立ち向かうことは恐怖を伴うかもしれません。

ですがその先には無限の自由があり、無限の進化向上(弥栄)があります。

それは喜びそのものです。

喜びを取り逃がさないためにも過去にとらわれず、未来に妄想せず今に精一杯あることです。

以下は日月神示の一文とインドの聖者ラジニーシの言葉です。


日月神示
【黒鉄の巻 1帖】
汽車あれば汽車に乗れよ。
飛行機あれば飛行機に乗れよ。
歩いたり、馬で行くのでは間に合わんことになっているぞ。
昔のままの宗教のやり方ではならん。
根本はよくても中々に目的地にはつかん。
飛行機時代には飛行機に乗れよ。
乗って進む宗教の道によらねばならん。
今は今の姿が真実ぞ。
そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。
あるものそのものが真実であるぞ。
そのあるもの拝み、祝福してそこから出発せよ。
現在を祝福することは過去を、未来を、すべてを祝福することぞ。
たとえいかなる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。
喜び元と申してあろうがな。


【月光の巻 26帖】
現状を足場として進まねばならん。
現在のそなたの置かれていた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。
山の彼方に理想郷があるのではないぞ。
そなたはそなたの足場から出発せねばならん。
もしそれが地獄に見えようとも、現在においてはそれが出発点。
それより他に道はないぞ。


【ラジニーシの言葉】
まず全ての過去を落とさなければならない。
過去は死んだものだ。
そしてどんな時でも過去を死なせなければならない。
現在に生きられるように。
両方いっぺんにやることは出来ない。
過去に生きながら生きるということ・・・それは出来ない。
実在は一度にひとつの瞬間しか与えない。
過去の思い出にそれを浪費するか、未来への夢想にそれを浪費するか、今それを生きるか、そのいずれかしかない。
私が一番強調したいのは、今が存在する唯一の現実だということだ。
過去はもはやなく、未来はまだやってきていない。