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喜びが喜びを生む

多くの方達は何らかの趣味を持っていると思います。
 
趣味に対しては時間と手間と情熱を惜しむことなく注ぎ込んでいるのではないでしょうか。
 
また他者から見ると面倒くさい、キツいと思われる趣味でも楽しんで行っているのではないでしょうか。
 
趣味が元で元気になったり、良い人間関係を築けたりと良い影響を受けている方もいると思います。
 
人が趣味に没頭するのは喜びを感じるからです。
 
どんな趣味であっても、喜びの探求という点では皆、同じはずです。
 
神の心は歓喜、弥栄です。
 
故に人間は神心を持っていると言えます。
 
喜びを求め、喜びのために行為すれば喜びを得ることになります。
 
ですが人の求める喜びとは自分だけの喜び、もしくは自分を含めた近しい人だけの喜びに過ぎません。
 
神の喜びとは一切の喜びです。
 
この世界は神によりつくられたものです。
 
だから神の喜びに近いほど、大きな喜びが得られて当然です。
 
自分だけという小さい喜びは例えて言うなら線香花火と同じです。
 
大きな花火を打ち上げれるのに、線香花火に執着している人を見たら皆さんはどう思うでしょうか?
 
また自分だけの喜びの追求は、他を無視したものになる恐れがあります。
 
他の喜びを奪う喜びの追求は神心に反するため、喜びを得ることはありません。
 
人は皆、いつも喜びでいたいはずです。
 
本当に喜びを得たいのなら、大きな喜びを求めて下さい。
 
より多くのものの喜びのために行為して下さい。
 
それを続けることで絶え間ない喜びで生きることが出来るでしょう。
 
憎しみが憎しみを生むように、喜びは喜びを生みます。
 
最初は小さな喜びでも問題ありません。
 
ひたすら喜びをより大きく、より広くしていけばいいんです。
 
以下は日月神示の一文です。
 
 
日月神示
【日月の巻 39帖】
喜べば喜ぶこと出来るぞ、悔やめば悔やむこと出来るぞ。
先の取り越し苦労は要らんぞ、心配りは要るぞと申してあろうがな。
⦿(かみ)が道つけて楽にゆけるように嬉し嬉しでどんな戦も切り抜けるようにしてあるのに、臣民逃げて眼塞いで、懐手しているから苦しむのぞ。
我れ善しという悪魔と学が邪魔していることにまだ気付かんか。
嬉し嬉しで暮らせるのざぞ。
日本の人民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、⦿の御子ざぞ。
掃除すれば何事もハッキリとうつるのぞ。
早うわからねば口惜(くや)しいこと出来るぞ。
言葉とこの神示と心と行(おこない)と時と五つ揃ったらまことの⦿の御子ぞ、⦿ぞ。
 
 
【青葉の巻 21帖】
弥栄とは次々に限りなく喜びを増やして養って行くことざぞ、喜びとはお互いに仲よくすることぞ、喜びは生きものぞ、形あるものぞ、声あるものぞ
 
 
【春の巻 7帖】
こと分けて書きおくから、迷わんように、人民の道歩んでくれよ。
何もかも嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのぢゃ。
不足ないのぢゃ。
いつも楽し楽しの歌で暮らせる仕組ぢゃぞ。
と申しても、心でわかっても、今の人民にはわかるまいから、さらにこと分けて、細かに説いてきかすぞ。
道しるべをつくりおくぞ。
これがよころびの道ぢゃ。
人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。
人民と申すものは神の喜びの全き現われであるぞ。
いくら穢れても元の神の根本神のキを受けているぞ。
それを育てることぢゃ。
導くとこぢゃ。
死なんとする人助けるのもその一つぢゃ。
宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ。
今の人民九分九厘は死んでいるぞ。
救え、救え、救え。
おかげは取り得ぢゃ。
生かせよ。生かせよ。
生かす道は神示読むことぢゃ。
 
 
【紫金之巻 2帖】
日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力せねばならん、一致すれば嬉し嬉しで暮し向きも何一つ足らぬものなくなってくるぞ、食物がよろこんで飛び込んでくるぞ、着るものが着てくれと飛び込んでくるぞ、住居も出来て来るぞ。
心のそれぞれも同様ぞ。