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悪は悪憎む心から生まれる
悪い人間がいなくなれば世界は平和になるというのが一般的な意見です。
しかし、法律などで悪的ことを規制したり、罰したりしていますが一向に平和になる兆しが見られません。
もっと厳しく制限したり、罰すればよいと思うかもしれません。
地球上には凄く厳しい統制が行われている国があります。
その国は悪人がいない平和な国でしょうか?
犯罪のない穏やかな国でしょうか?
決まり事が多い、罰則が厳しいということは、それだけ決まり事や罰則が必要だということを現しています。
つまり決まり事が多ければ多いほど、罰則が厳しければ厳しいほど悪い人間が多いということです。
日月神示では『悪憎むことが悪』と言われています。
裁くこと、憎むこと、嫌うことが悪そのもので、それらが人の心にある限り悪は現れ続けるということです。
内側が外側に現れるのが道理ゆえに、全ての人の心から裁きをなくす必要があります。
だから全ての人の改心が必要なんです。
現代のマスターと呼ばれる方達が世界中を飛び回って法を説いているのはそのためです。
悪はどこか遠くにあるのではありません。
内側にあるから現れるんです。
裁く心があるから裁くべき悪を生み出し、維持しているんです。
裁く心、憎む心、嫌う心が悪いのではありません。
裁く心、憎む心、嫌う心を嫌うことが調和を乱すことになるから悪となるんです。
どんなものであろうと嫌わない姿勢が調和です。
だから私の師匠は『嫌うことをやめなさい』と言うんです。
以下に紹介する日月神示の一文にはこう書かれています。
日月神示
【碧玉之巻 6帖】
禍というものは無いのであるぞ、光忘れ、光に背くから、嫌なことが起こるのぢゃ、影がさすのぢゃ、禍とか悲しみとかいう暗いものがないのがマコトであるぞ、中心は無と申してあろう。
中心は見えんから、わからんから、外のカスばかり見ているからつまらんことで、つまらんことが起こってくるのぞ、その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、見えるものは有限ぢゃ。
この世の大泥棒を高山ぢゃと申して、この世を自由にさせておいてよいのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴まねばならんぞ、そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。
【秋の巻 4帖】
道徳、倫理、法律はいずれも人民がつくったもの。
本質的には生まれ出た神の息吹によらねばならん。
神も世界も人民もいずれも生長しつつあるのざ。
いつまでも同じであってはならん。
三千年一切りぢゃ。
今までの考え方を変えよと申してあろう。
道徳を向上させよ。
倫理を新しくせよ。
法律を少なくせよ。
いずれも一段ずつ上げねばならん。
今までのやり方、間違っていたことわかったであろう。
一足飛びには行かんなれど、一歩々々上がって行かなならんぞ。
ぢゃと申して土台を捨ててはならん。
土台の上に建物立てるのぢゃ。
空中楼閣見ておれん。
【月光の巻 27帖】
祓いは結構であるが、厄祓いのみでは結構とはならんぞ。
それはちょうど、悪を無くすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪を無くすることに努力した結果が、今日の大混乱を来(きた)したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。
善と申すも悪と言うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。
大神が許し給えばこそ存在しているのであるぞ。
この道理をよく会得せよ。
祓うと申すのは無くすることではないぞ。
調和することぞ。
和して弥栄することぞ。