逆さまの楽と苦しみ
人は思い通りにしか生きられません。
自分がこうだと思った生き方はしますが、それ以外の生き方をしようとはしません。
また自分の求めるもの以外は見向きもせず、得ようとしません。
自分で選んでいるという観点から見れば自由に見えますが、自分という枠に閉じ籠るという観点から見れば不自由に見えます。
枠に閉じ籠る生き方は努力や挑戦を放棄するから一見、楽に見えます。
しかし、枠の外を恐れ、嫌うことは自ら恐怖と嫌うものをつくり出すことになります。
故に苦しみ多き生き方となります。
楽を選んでいながら苦しみを選んでいるなど愚かにしか見えませんが、その愚かなことを正しいと信じているのが人間であります。
私は師匠からの学びの過程で、この事実に気付くことが出来ました。
だからどんなに良い師がいたとしても、どんなに良い学びの機会があったとしても、気付くことが容易でないのもよく理解しています。
なぜなら人は自分の信じるもの以外を信じないからです。
学びにおいて『頭を空っぽにしてきなさい』『素直になりなさい』と言われるのはこのためです。
日月神示でも『赤子の心になりなさい』と何度も言われています。
我々は記憶、習慣、思い込みに成りきってしまう癖に縛られがちですが、それに気付くことが出来ます。
それらは便利に使うものであり、使われるものではありません。
あなた方は主体なのだから常に使う側でなくてはなりません。
また物事は時計が1秒ごとに進むように、一歩ずつしか進みません。
常に一歩一歩なんです。
努力という一歩一歩の積み重ねが結果であります。
一歩一歩のない結果は土台のない建物と同じです。
故に一歩一歩の過程が大事なんです。
一歩だけを見れば些細なものですが、積み重ねることで尊い一歩になります。
日月神示にはこう書かれています。
【春の巻 12帖】
無くて七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。
天国へ行く鍵ぞ。
直せば直しただけ外へ響くものが変わってくるぞ。
よくなってくるぞ。
変わってくれば、外から来るもの、自分に来るもの、変わってくるぞ。
よくなってくるぞ。
幸となるぞ。
よろこび満ち満つぞ。
神満ち満ちて天国ぢゃ。
一升桝持ってきて一斗入れようと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。
大き桝持って来い。
頂くには頂くだけの資格いるぞ。
一歩ずつ進め。
一歩ずつ絶えず進めよ。
それより外に道はないのぢゃ。
【黒鉄の巻 3帖】
理窟は一方的のものぞ。
どんな理窟も成り立つが理窟ほど頼りないもの、力にならんものないぞ。
理が⦿(かみ)の御能(おんはたらき)ぞ、よく見極めねば間違うぞ。
囚われるなよ。
他の為に苦労することは喜びであるぞ。
全体のために働くことは喜びぞ。
光の生命ぞ。
誰でも重荷負わせてあるのぢゃ。
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。
この道理、涙で笑って汗で喜べよ。
それとも重荷外してほしいのか。
重い重荷もあるぞ。
軽い重荷もあるぞ。
今播いた種、今日や明日には実らんのざ。
早く花が見たく、実がほしいから焦るのぢゃ、人間の近欲と申すもの。
神の大道に生きて実りの秋(とき)まてよ。
播いた種ぢゃ。
必ず実る。
誰も横取りはせんぞ。
万倍になってそなたに返ると申してあろう。
未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々と天地に歩め。