見出し画像

内側と外側

以下は師匠と内側と外側のことについて問答した時の内容です。

私の考えでは、外側の豊かさを求めて内側の不幸を拡大しているのが現状だと思います。

【師匠の回答】
その通りです。
ではなぜ外側に豊かさを求めると内側の不幸が拡大するのだろうか?
それは今、人が外側に求める豊かさは分離だからです。
分離に基づく外側の豊かさは世界に分離をもたらし、苦しみを生み出します。
だから今、人が外側に求めているのは豊かさのつもりで苦しみを、分離を生み出しているから内側の不幸を拡大しているのです。
要するに人は間違えて苦しみを豊かさだと思って外側に求めている。
だから内側も不幸になるのです。
損得勘定が誤っているということです。


内側と外側の豊かさを同時に求めることは可能ですか?

【師匠の回答】
可能だ、と言うより一番自然な方法だよ。
人々を見れば世界が分かる。
世界を見れば人々が分かります。
人々の心が世界を現し、世界が人々の心を現しているからです。
もし宇宙のどこかに天国のような世界を築きあげている人々がいたら、この人々の心も天国です。
決して人々の心と世界は矛盾することはないのです。
人々がこの地上に天国を生み出そうとする時、地上を天国とする過程で自らの心も天国とならねばならないのです。
だからそれ自体が道となり、修行となるのです。
心に平和のない人たちが平和の世界を作れると思いますか?
心に天国を持たない人たちが地上に天国を作れると思いますか?
それは不可能なのです。


したがって内側の豊かさを求めることが、まずは大切だと感じますが、いかがでしょうか?

【師匠の回答】
そうなると悟りが先に必要で、一度に沢山の悟り人は生まれないから、地上は永遠に天国とはならないでしょう。
これが小乗の考え方で、大乗とはそれ自体を道とするのです。
悟りと言うことを特別に意識しなくても、世界一家と変わる段階で人々は自然に悟って行きます。
この理論は心に天国がなければ地上に天国は作れないと言う道理が証明します。


内側の豊かさに気づいてからも人はグルメやショッピング、旅行やその他お金のかかるレジャーなど消費活動全般などの外側の豊かさを楽しめるものなのでしょうか?

【師匠の回答】
豊かな世界とは天国のような世界です。
そうすると、この質問はおかしくはないか?
世界一家が出来たらグルメ、ショッピング、レジャーなど消費活動全般があるだろうか?
そんなものは消えてしまっていると思うよ。
それは世界一家を作る段階で人々の好みも変わってくるからです。


外側の豊かさを楽しめるものなのでしょうか?

【師匠の回答】
これには別途回答しておきましょう。
楽しめるよ。
内側の豊かさがあれば何だって楽しめます。
もし外鏡により楽しみが変わるなら、それは内側に豊かさを持っていないからです。
もし内側に豊かさを持てば、世界に合わせてどんなことでも楽しめます。
例えば、私は家族が戦争の映画を見たいと言えば一緒に楽しんで見ます。
私の周りで馬鹿げた話をしている人たちがいても、一緒に馬鹿げた話を私はするのです。
ラジニーシは高価そうな時計をつけ、ウォーターベッドに寝ていたようです。
ウォーターベッドが寝心地が良いか私は寝たことがないから分かりませんが、寝るなら寝心地が良いほうがいいでしょう。
『これがなぜ悪いのだ』が内側に豊かさをもった人の意見です。
なければなくても豊かで、あればあったで豊かな人が豊かな人です。
人はこう思うのでしょう『内側が豊かな人は何も望まない』と。
ですが、それは違うのです。
内側が豊かな人は人々の豊かさ幸せを願うのです。
でも内側が豊かな人は、己ばかりの外面的豊かさには興味がないのです。
だから一切が豊かにならないなら己も現状で喜ぶのです。
だから世界が外面的に豊かでないなら自分も現状を維持するのです。
その姿を人が見て内面が豊かな人は外面に豊かさを求めないと誤解するのです。
ラマナの基本は平等に分ける、でした。
体が病気なら治ったほうが良い。
世界が不平等なら平等のほうが良い。
人は早死にするより、長生きしたほうが良い。
不便であるよりも便利なほうが良い。
より良いほうが良いのです。
人は外面的にも内面的にも平和であるほうが良く、外面的にも内面的にも豊かであったほうが良い。
ですがなくてもあっても豊かでなくてはなりません。