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必要なのは覚悟

悟りの条件とは知識ではないと師匠から注意をされたことがあります。

もちろん知識は大事ですが、絶対条件ではないということです。

当時、私は師匠から学びつつも仏教の知識が役に立つと感じ、仏教の知識を得ることに力を注いでました。

それに気づいた師匠に注意を受けたわけですが、その時はまだ注意の意味がよくわかりませんでした。

結論からいうと私の表面的な理論や理屈が達者になっただけで、生き方が変わってなかったのを見抜かれたのが原因でした。

師匠はよく学びとは実践、体験が大事とことあるごとに言っていました。

私は知識を増やすことで理解が深まると思い込み、実践である現実的な行動を疎かにしていたわけです。

実践し、実感するを繰り返すことで自身を納得させることが出来ます。

それが生きた知識、つまり理解となって普段の生き方に現れます。

だからいつまでも生き方が変わらないということは学びを実践していない証拠なんです。

では私が何を実践してきたか紹介します。

1つは自身の思い、感情とともにあることです。

特に心の動きが大きい時ほど感情任せの行動を戒め、それとともにあり続けることです。

それに加えて思い、感情の意味を追求するとなお良いです。

意味はないと納得することが出来れば心は勝手に動かなくなるからです。

2つめは一切の立場に立って物事を見ることです。

師匠は『自分の立場と相手の両方の立場に立って考えなさい』とよく言っていました。

自分の立場だけで見れば我善しとなり、偏った狭いものの見方しか出来なくなります。

両極の立場から見ることで初めて立体的に物事を見れるようになります。

加えて全体の立場からも見るとなお良いです。

それぞれの立場の意味を理解することは調和に繋がるからです。

また全体の立場に立つとは神の立場と同じとなり、神心になる近道となります。

この2つの方法はとても簡単です。

実践する機会は常にあるため、いつでも行えます。

唯一、必要なのは真剣に続けることです。

上手くいかなくても、失敗しても、嫌になっても、やめたいと思っても続けることです。

これには覚悟が必要です。

実は最初に書いた悟りの条件とはこれなんです。

死んでもやるという覚悟だけが必要なんです。

グルが弟子たちを見る時も覚悟だけを見ていると言われます。

私の師匠もそうでした。

自分にはそんな覚悟はないと思うかもしれませんが、大丈夫です。

覚悟は養うことは出来ます。

上記にある2つのことを続けることで養うことが可能なんです。

なぜ、そう言い切れるのかというと私が実践し続けたからです。

覚悟のあるものに動揺はありません。

だからいつも心静かに、淡々としている人は覚悟の出来ている人なんです。

以下は覚悟について師匠が教えてくれた時のお話です。


【師匠の教え①】
心が乱れて何が悪いんだ。

まだ人であれば当然で、乱れてしまうことも許してあげるんです。

乱れている時は乱れたままに、もがかずに静かにそれを感じていなさい。

覚悟と言うのはそういう事なんです。

不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かうことを覚悟と言うんです。

『不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かう』

これは心のあらゆる問題を解決する基本です。

きっとパニック障害の治療にもなると思います。

恐怖を感じてもがくことがパニックなんです。

乱れることを恐れること、それがパニックなんです。

極端な恐れからくる極端なもがき、それがパニックなんです。

乱れたら乱れたままでいいんだ。

乱れている心も許して、乱れている心を静かに見ていなさい。

許して見ている事が『不安に振り回されず、不安から逃れず、不安に立ち向かう』で、それが出来ることを覚悟と言うんです。

そしてそれを知ることを学びと言います。

心が乱れている時は乱れたままの心を観察していなさい。

もうどうにでもなれと言うのが覚悟で、これが迷いを振り払ったと言うのです。

迷ったら迷ったままでいいんです。

これを迷いを振り払うと言うのです。

見ていられればパニックはその内に消え去ります。

ただ見ていることが出来るために学ぶんです。


【師匠の教え②】
恐れを知らず、断固として折れない意志を持ち、何事にも恐れず、決して諦めるということを知らず、しかも苦しむということも知らない人が出来るんです。

こう言う人のことを自分を支配した勝利者と呼びます。

お釈迦様も勝利者とも呼ばれていました。

ここで私が教えてきたのは無明に智慧で灯りをつけて、恐れに立ち向かう覚悟を養うことと恐れに突き動かされないでいることの二つです。

恐れに突き動かされないことが見ている、または恐れと共にあるで、それが可能になるように智慧で無明に明かりを灯しているんです。

『恐れと共にあることとは?』を知ることが恐れと共にある勇気を与えてくれるからです。

あそうそう断固として折れない意志と謙虚も一つの状態を構成する二つのパーツです。

断固として折れない意志と委ねも一つの状態を構成する二つのパーツです。

断固として折れない意志がなければ決して委ねもありません。

委ねられている状態は断固とした意志がある状態なんです。

逆に見えるものが合わさって一つの状態を現す。

面白いね。

グルは人を見るとき意志の強さだけを見ます。

全く知識など関係ないんです。

悟りに、神に近いほど、近づくほど断固とした意志が備わり、また断固とした折れない意志がなければ神の御前に座ることは不可能と知っているからです。

道元さんをグルがその素質を見抜いたのも、空海さんのグルが空海さんを見抜いたのもその覚悟を見たんです。

グルとは覚悟しか見ないんです。

ここに来てどんな知識を得たかなどどうでもいいんです。

グルが欲するのは皆さんの強い意志と覚悟だけです。

グルはそれを欲して何かを教えるんです。

皆さん、様々に語るグル達の言葉に迷わされてはダメです。

自分の負荷を和らげて楽になろうとしても無理です。

肩に人の二倍も三倍も負荷を背負っても楽であることが本当の安楽です。

落とすのは心の負荷だけでいいんです。

心の負荷が落ちれば肩に人の二倍も三倍も負荷を載せても、心は安楽で決して折れないんです。

『負荷を背負いたくない』も恐れから来ます。

その恐れに突き動かされず、負荷を背負って恐れと共にあるんです。

皆さん、初めの恐れとは暗闇なんです。

暗闇であることが怖いんです。

知らないことが見えないことが怖いんです。

突き動かされず恐れと共にあってごらん。

怖いものではないことがその内に分かる事でしょう。

その奥にずっと入って行った所が皆さんの家だ。

今ここにあると言うことは恐れと共にあると言うことです。

断固として揺るがない意志がなければそんなこと不可能です。

だから智慧を使うんです。