思い・感情に左右されない心をつくる
鍛練を積むことによって身体を強化できることはよく知られています。
しかし、鍛練を積むことによって心を強化できることはあまり知られていません。
身体は習慣的な体の使い方によって変えることが出来るように、心も習慣的な心の使い方によって変えることが出来ます。
今ある皆さんの心も、習慣的な心の使い方の結果です。
意識的、無意識的は関係なく、使い続けてきた結果だけが現れています。
ここで質問です。
明確な意識を持って身体を鍛練する時のように、心を意識的に使ってきたでしょうか?
無意識的に、思いのまま、感情のままに心を使ってきたでしょうか?
前者なら心を客観的に見る習慣があるので、心に振り回されることは少ないでしょう。
後者なら思いに、感情に振り回されているでしょう。
両者の差は習慣的な心の使い方の違いです。
これは心の使い方を変えれば、心はつくり変えることが出来るということを証明しています。
では心をつくり変えるとは一体、どういうことでしょうか?
心をつくり変えるとは思うこと、考えることを変えることではありません。
それらを変えようとすることは記憶、体験を否定し、裁くことになります。
またその前提には恐怖、嫌悪もあります。
行動は前提となるものを強化する故に上手くいかないんです。
心をつくり変えるとは思いや考えに左右されないようにすることです。
どうすれば左右されないようになるのか?
起こること一切を嫌わないことです。
我々は過去の体験を、今あるものを変えられないと知っているはずです。
ならば一切の思いや考えは変えられないと諦めなければなりません。
諦めの悪さが心を弱くするんです。
臭い物に蓋をしたり、都合の悪いことから目をそらすのも諦めの悪さです。
どうにもならないものを嫌い、不満をもち続けることは、下らない思いや考えに力を与え続けることになります。
だから一切を嫌わないことです。
別の言い方をするとな何もしないことで、思い任せ、感情任せに行為するなということです。
それが心の鍛練です。
以下はインドの聖者ラジニーシの教えです。
【ラジニーシの教え】
興味深いことに、外側の困難に対処するのに内側の決意を使いつづけていると、あなたはだんだんと強くなっていく。
やがて困難が困難ではなくなり、ごく単純な物事になる日がやって来る。
あらゆるものは関係しあっている。
あなたがまるで柱のように決意を固め、不動のものになると外側の困難はもはや影響を及ぼすことができなくなる。
このようなことから、もう一つの興味深いことが起こってくる。
世間的な人は困難から自分を守るために手だてを講じつづけるが、そうすると彼の内なる強さが失われていくので、ますます困難は大きなものになってゆく。
彼はいっそう忍耐力がなくなっていく。
決して日に当たらず、いつも日陰に隠れていたら、だんだんと太陽の熱さに耐える力が失われていき、ちょっと日に当たっただけでも調子がおかしくなってしまう。
だが、かんかん照りの下で穴を掘っている人には日陰で休んでいる暇がないが、たとえその仕事を何時間も続けたとしても、その暑さで病気になるということはない。
なぜそういうことになるのか?
それは彼が太陽の暑さに抵抗力をつけたからだ。
人間が多くの薬を使うようになると、いっそう多くの病気が生まれてくるのはそのためだ。
人間の抵抗力が衰えていくからだ。
身の回りを便利にすればするほど、いっそう不便を感じるようになる。
あれこれの対策を講じるほど、さらに多くの困難に直面するようになる。
どんな対策も外面的なものにならざるを得ないから、内なる強さを鍛える必要が感じられなくなり、その機会が失われてゆく。
内なる強さが使われないようになると、しまいにそれはすっかり消えうせてしまう。